ありのまま。常滑。


 今年2度目の愛知県は知多半島。

 

 撮影時間より移動時間の方が長い、という事も多々のカメラマンあるある。この調子だと写真の腕より運転レベルが上がりそう(笑)、と言うのは冗談。アウトプットとインプットの同時並行。今回は車で来たのでせっかくだから仕事終了後、快晴の中を半田の赤レンガ、運河沿いのミツカン蔵群勇姿にご挨拶してお隣の常滑市へ移動する。

 半田からは車で30分ほど。知多半島西岸にあり、西側には伊勢湾、海上埋立地に中部国際空港(セントレア)がある。前回、半田のホテルに泊まったらたくさんの外国人旅行客も泊まっておられ、「空港から近いのでここを起点、あるいは出国前の最後の観光をされる方が近年とても増えました」と、フロントの方。
 この辺り、まさに空と海の玄関口になっている訳だ。

 加えて、かのコストコが出来てからと言うもの、市外からの人の流れも多くなったとは、刺身定食を食べた常滑のお店の店主さんの弁。「あんまりうちには影響ないですけどね(苦笑)」。


 

 こちら、大型招き猫、常滑の「とこにゃん」を何かの紹介写真で目にされた方も多いだろう。招き猫の一大産地は愛知県内にこちらと瀬戸があり、両地で全国シェアの8割を占めると言う。

 そう。常滑市は言わずもがな窯業が伝統産業だ。こちらで焼かれる常滑焼は日本六古窯の一つに数えられ、その歴史は古く、平安時代後期ごろを起源とし、当時既に3,000基もの穴窯が存在して壺や山茶碗などが焼かれていたと言う。

 鎌倉時代には壺や甕など高さが50センチを超えるような大型の器の生産が始まり、常滑港から荷積みされ、北は青森から南は鹿児島まで、壺や甕、鉢などが流通していたことが、鎌倉遺跡群でのおびただしい数の発掘量に見てとれるんだそうだ。

 

 古来より常滑は粘土層の露出が多く、小さな起伏の丘陵地を持ち、三方を海に囲まれた半島の地の利を生かし、産出される素材に流通の便と、六古窯の中でも最大の窯場としてその地位を築き上げた。

 

 

 器にさほど関心の無い人にも、実は常滑焼は、日常の中で極めて近い存在で、自宅、あるいは実家などの生活空間、あるいは職場や公共施設などでひょっこり馴染んで長年一緒に暮らしている。

 先に触れた招き猫は、お商売をされてる方には欠かせない存在だろう。漬物を漬けるあの茶色い蓋付の甕はどうだろう。朱色の急須はどうだろう。昨今はプラスチックに取って代わられたと言う上下水道の茶色い土管もそう、有名どころでは、今は明治村にその姿を残す大正12年竣工のアメリカの建築家、フランク・ロイド・ライトの設計した帝国ホテルのテラコッタタイルを始めとしたタイルもそうだし、衛生陶器のINAX(現・LIXIL)の牙城はこちら、常滑である。

 中でも最もこちらの焼物として特徴付けされる朱泥の釉をかけずに作られた急須は、原料に含まれる鉄分、または陶土に混ぜ込まれている酸化鉄(ベンガラ)が赤く発色するためにあの独特の朱色を醸し出している。この酸化鉄がお茶のタンニンと反応を起こし、お茶の渋みや苦みがちょうど良い塩梅に取れる事で、常滑の急須で入れたお茶はとてもまろやかで美味しくなるというのが定評だ。

 この急須も、そして土管の生産も江戸時代末期頃より始まり、明治時代より土管は日本の近代化を推し進めるべく昭和まで大量に生産され、日本各地の衛生インフラ整備の礎を担った。

 

 

 常滑の観光協会サイトを見ると、やきもの散歩道と言う案内がある。

 陶磁器会館で散策マップをゲットし、モデルコースを歩くと言うものだ。曲がりくねった路地に窯元や町工場、住居と混在するエリアにてこれはとても分かりやすい。ひとまず、2コースあるうちの一つ、高低差のある丘陵地を散策してみることにした。

 あたりは想像よりもお買い物が出来る陶器屋さんがたくさんは無く、押し売り感が全然無い。要するに産地に来たからにはモノを買ってね、じゃ無く、この産地の事を一緒にゆっくり歩きながら紹介しますね、と言う感じだ。
 店舗はほどよくアップデートされて、今風の(と言ってもチェーン系の資本投入されたものは皆無で、あくまでDIY系)カフェなどもわずかにあるにはあるけど、ほぼ、元の家並みがありのまま残されている。今や煙ならぬ、にょっきりと木や草の生えた煙突も、朽ち果てて屋根が落ちたような家屋も、更地になって雑草の生い茂る工場跡もそのまんま。そこにきてほんのいい具合に、道案内の看板などにグラフィックセンスがちょいちょい、サビを効かせている(実際、あえて錆びた鉄板をおしゃれに用いてる)。

 私のように枯れ系を好む者には猛烈に楽しい散歩道だが、みんなはどうなんだろう。と、見渡すに結構、訪れる人も多い。そして子供達までめちゃくちゃ楽しそうに歩いてる。

 あちこちに、この街の経済を発展させた土管がモチーフとなって、壁や、石畳に利活用されている。決して捨てたわけでも、また諦めたわけでも無い。嘆いたり、憂いでばっかりも無い。大事に、誇りを持ってこの常滑を愛する人たちが、世代の異なる多くの人に共感してもらうべく前向きな工夫を凝らした散歩道。ただ、あくまで無理のない範囲で、自然に。そんな感じだ。

 時々、伝統産業の産地、と呼ばれる街では、過去の遺産的扱いの、無理矢理イキったハコモノが空虚にそびえ立って、それがかえって切なく物悲しい空気感を漂わせる所があるけど、ここと一体、何が決定的に違うんだろう。あたりは整備と言っても実にアナログで手作りな感じだ。それでも訪れる人は楽しげだ。

 究極、迎え入れる側の気持ちなのか。心なのか。取り組む姿勢なのか。。。ふと想像してみた。企業も個人商店も小さな工場も、町全体で今後を見据えて考えて、優しく無理なく守られた景観。加えて、エリアに同居している周辺住民の理解と協力無くして、この散歩道は成立しないだろう。様々な価値観を持ったいろんな世代で知恵を出し合い、また認め合った成果なんだろう。そう見てとれる。だから歩いていて楽しいし、ほっこりもする。

 よく言われる高齢化理由もそうだが、どこの土地であれどこの国であれ、実際、人は生まれたり亡くなったりするのは運命として変わりない。だから、過去から未来へバトンを渡し続けるにあたっては、せいぜい50年、100年レベルの個人の命の物差しや価値観で安直に判断したり結論づけちゃいけない。身近な例えでは産業を支える企業だってそうだ。それぞれの在職期間という短いスパンで、その時その時の業績だけを追わせて目先に走らせるとどうなるか。真っ先に削られてガタガタと崩れ落ちるのは固有の(社風や商品価値、品質などを含めた)環境や文化だ。そして結局、それじゃあ人も離れ、大元すらも短命に終わってしまうんだから。と、教わった気がした。

 

 いい感じに枯れてて、けれど活気もある。ありのままの常滑。また歩きたい。

 今度はそんなに器に興味の無い友達も一緒に。きっと「常滑」が忘れられなくなるだろう。実は既に身近にあった常滑焼を、再度見直すようになる。
 そう思える散歩道だ。