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今日で70年。夏の読書感想文。

ピュリッツアー賞を始め数々の賞を受賞したアメリカ人歴史学者、ジョン・ダワー著の「敗北を抱きしめて」を今更にして読んだ。
日本での初版は2001年春。という事も今更ながら知った。この本は昭和一桁生まれの父親が遺した本のひとつで、同年秋に亡くなったので最晩年に買った本、という事になる。今年は神道式に(親の郷里がそうなので)言えば15年祭だ。

かつて実家には、居住スペースに全く釣り合わないほど本がたくさんあった。子供の頃の教育方針は「テレビは基本禁止。ゲームや漫画は買うのは勿論、借りるのも禁止」だった。こずかいというものは無くて、日々団地のベランダに転がる酒瓶を、自転車の両腕と籠にフラフラになる程ぶらさげて市場近くの薄暗い酒屋で小銭に替えてもらい、それが僅かなこずかい替わり。親が酒飲みだったから救われたけど、市場で働くおっちゃんらが夕方から赤黒い顔で立ち呑みする中に入るのは怖かった。酔っぱらいのひやかしに合いながら、コツコツ貯めたお金は札に換わると上の兄貴に貯金箱から引っこ抜かれ、兄はそれを全部近所のゲームセンターで使い果たす。自分より若い世代からすれば、へえ、そういう時代だったんですねと勘違いされそうだけど、少なくとも自分の周りで今だ昭和半ばみたいな子供生活を送ってる子は皆無だった。けれど本に関しては申告制でお金を出してもらえたので、少なくとも小、中学生の頃はありったけの本を読んだ。家の本棚もいわば図書館扱いで、在るものはたいてい読んだ。振り返れば子供時代カルチャーからの隔離という、ある種偏った押しつけ理想教育。アイドルやお相撲さんのブロマイドやメンコ、凧揚げに駒遊びもまだあったけれど、インベーダーゲームに始まり任天堂ゲームウォッチが大ブームでアナログなものが急激に隅へと追いやられる時代にあって、文句も言わずに教えを守り、周囲の流行話には全く乗れない変わり者だったのに案外いじめられる事も無く、割とセンターで活発そうに居られたのはラッキーだったと思う。
晩年の父親は、今から思えば身辺整理だったんだろう、本を少しづつ処分していて、没後には全盛期から比べるとかなり少ない蔵書となっていた。遺された本を展開すれば、恐らく、これは是非自分に読んで欲しいなあ、と思ったのだろう本(主には国内著名作家の文学全集や小説、ドキュメンタリーなど)。それから、晩年は完全に距離を置いていたものの自身の人生でどうしても欠く事が出来なかったのだろう思想系の本と、大きく2つの種類に分かれた。
10年祭の前に、自分に遺したいという意志が見える本はそのまま手元に残し、タバコのヤニと日焼けでこんがり色をした思想本は全て、廃棄するより読む人が居るならと某政党に運び渡した。相手方はもう既にあるからと迷惑そうな顔を浮かべ、その筋ではレア本らしい本を受付のおじさんから教えられていくつか手に取った見習い風の若い子は「わあ、僕これ貰おっかなあ」と呑気声で言った。

前置きが長くなったけれど、今回の「敗北を抱きしめて」に関して手放さなかった、さりとてこれまで読みもしなかったのは単純な理由だ。ひとつは、この本が真新しかった事。そして、タイトルが何か感傷的で気が重かった、という事。勿論、この本がどういう意図で遺されたのか読み取れずにいたのもある。
出版された頃には超話題本であったろうから、多くの書評だの色々あると想像する。というか、さすがに出版当初、日本ではどのような受け止め方をされたのか、ちらりネットで見てみたけれど、おおよそ色んな主義主張の側でリライトされた解釈が成されていて、他からの評価を念頭に置くなんて小説じゃあるまい野暮だと閲覧するのをやめた。
約7年間に渡った実質アメリカ一国の占領下における、急仕立ての日本民主化プロジェクトが、同時代の国内の状況や普通の人の暮らしと共に、研究者ならではの検証によって引用資料と併せて淡々と記されおり、かつそれらは難解な語句が並んで無くて実に読み易い。時に(仮に)筆者の断定的見解を排除した所で、あるいは所詮、占領国側の人間が書いた本じゃないかと穿った心がふと浮かんだとして、挙げられる話の数々には整理して、これまでその他から得た知識と平行させて個人の中で充分検証出来る。分析された文章量の強弱に惑わされずにいれば、筆者によって調べられた限りの事実が、方々の主義主張に対して矢を放っている、と、私には思えた。戦争に突き進んだ頃の日本がいかなる精神状況であったかが語られ、「で、あるから忘れてはならない。二度とあってはならない」の言葉と共に添えられる戦時話はたくさんあるが、戦後何故、かつての敵国がこれほどまでに一瞬にして国内に浸透したんだろう。何故戦争は始まったのかは大いに語られる一方であまり語られる事が無い、何故どのようにして戦後日本は、かつて東京を始め日本各地を焦土とし、沖縄の惨劇、広島、長崎と、どう考えても筋の通らない理由による原爆というものを落としたアメリカという国のコントロール下に、身も心も置かれる様になったのか。今なお続く関係の根っこである最初の部分について、その一端を諸々のイデオロギーの声にかき乱される事無く検証出来る本のひとつとして大変興味深かった。両翼がもがれたまま暴れ合って、議論が発展しないどころか交わる事も無く延々一方通行のままいずれの意見も変わらず消え無い事も、その発言における両側の根拠も一定見えた気がした。誰もが矛盾を抱えてここまで来て、ほつれた根っこの在処について口ごもっている。見たいもの(見せたいもの)だけを、見て(見せて)、信じている(信じさせる)のは容易な行為だ。けれど、一応なり選択する自由というものの中に育った自分達が知らない事を知識として得るには、選択する事が不可能だった不自由の時代が一体どのようなものであったかを理解すべく、個人的には普段選択しないであろうものも受け入れてみなければ分からない事もあると感じた。最後まで気が重く、読み進めるのに骨が折れる本だった。と同時に、世間で押し合う一方の言葉たちの理解を深める糸口にはなったし、それぞれの曖昧かつ略語のような解釈の応酬で日々じわじわと力が抜けるより、ずっと明快な時間が過ごせた。
「敗北を抱きしめて」は、平和教育をそれなりに受けた子供時代にあって、あらかじめ大人から望まれる模範解答のかたわら、どうしても浮かぶ素朴な疑問として、大人に提出せねばならない戦争関連の作文に書き続けた子供の問いに対して、誰も答えてはくれなかった、大人側から得た初めての「ひとつの」回答である。

戦後70年。と言われる。
終戦70年。敗戦70年。言葉の使い方ひとつで意味の持たせ方が変わる。
戦前には「これまで一度も侵略を受けた事が無い事を誇った」日本が、戦後には「70年に渡り戦争をしなかった」と、他方は誇る。
その根拠もお決まりの設定も、主義主張の解釈によって盛られたり、あるいは都合良い話だけを強引に結びつけられる事の無いようしっかり目を開け、自分が生まれ、今後も住まうであろう国の事として読み取りたいと思う。しがらみというものはそう簡単に断ち切る事は出来なければ、根元の修正というのもそう容易く無く、また誰しも、負け戦の責任は取りたく無く、その逆自身の勝ち戦は大きな顔をする性質であり、劣勢を感じれば巧妙な言い訳でごつごつに武装してしまうから。しかしながらそんな中でも「風化させてはならない」との思念で語られる全ての、またあらゆる立場に当時あった戦争体験者の方々のお話は真実であり、今まだ聞く事が出来るのを本当に心から貴重に思う。「平和ボケ」とか「思考停止」とか、その後の時代に言われ過ぎて、揶揄する行為そのものも停止している観が否めず新たな表現でも見出したく思うけれど、こうした戦争を体験し、命を落とした人々、命からがら生き延びた人々、今尚、精神的、肉体的後遺症に苦しむ人々、またその時代を生きて政治の場面転換に対峙してきた人々の貴重な言葉のうわずみをさらって各々の主張で結ぶのは、それはあまりに手軽な「コピペ」でしか無いように思う時がある。かつてのメディアはどうだったろう。そして今はどうだろう。「真実」を都合良くまとめてリライトし、かつ論説でもつけて、同じ名前にしてその時代にあわせた塗り替え可能の宣伝屋の顔を持ってきた経緯もある。政党だって、それぞれに風見鶏的で矛盾を保有し、指針や理念をスライドさせて今に至る。よって額面通りに捉えがちなこちら側の感覚こそ、最も悪しき慣習なんじゃないかと思う。ネットの氾濫によってそうしたプロから我々素人まで言いたい事が言えるようになって後には顕著だと憂いられがちな昨今だけれど、それは実は戦前、戦後間無しから現在に至るまでたいした変わりは無いように思う。
一見悲観的な物言いかもしれないけれど、絶対的なものに対して信じざるを得ない不自由という時代があったと定義されるなら、その後、絶対的なものなど無いのが痛い程分かったのだから、何事も疑ってみる自由というものを、自分たちは確か得た筈だ。よって巷でよく言われる「騙された」と憤るのは、その前時点で信じているものがあったという訳であり、それは自ら自由の目を放棄したとも言い換えられる。そう冷静に思えば、何かこれまでの流れとは違うことも出来る筈だ。互いの矛盾に対する罵り合いでは無く、いつか自分の矛盾も、そして相手の矛盾も地点を認識した上でこれからについて話し合う事は、それはそんなに途方も無い事だろうか。
そして本来、下からのエネルギーによって革命が起きて民主化がもたらされたというセオリーでは無しに、まるで新たな実験のように上からシナリオとして与えられた革命(の、定義を成していない)をベースに民主化された日本について、それらは本当だったのか、その箱の中から始まった自由について、あるいは本当に民主主義を自らの意志によって勝ち取り、育てる事が出来たのか、またそれを保持する覚悟と切望と、必要な知識や分析力、選択する目が「自分たちの中」にあるのか、もちろん「自分の中」にもあるのかも知りたいと思う。横暴である側はもとより、横暴と叫ぶ側も。それはこの70年という時間、未来あるいはこれまでの歴史を、ただ静かな失意の中に終わらせないためにも。
話すべき時には切り返して自分の頭を使って、自分の言葉で話せるようでなきゃ、挙げ足をとるのが精一杯じゃいけない。飲み屋で会うおじさんらのバブル期武勇伝を聞いて仕方なし「すごかったんですねえ」と微笑んでみるか、「もう古いしうざいし面倒臭い。好き勝手しやがって」とケンカをふっかけるような平和で損失ナシな話じゃ無い。敗北を抱きしめていればまだ良い方、背を向けて知らんぷりを決め込んで、皮肉って裏口叩いたり、ごまかしたり偽っていてもいけない。何より嘘をつかれるのはイヤだし、嘘に加担するのもイヤが故に、出来る限り嘘は見抜きたい。誰の事も傷つけたく無く、自分の人生も、大切な人の人生も、全く知らない人の人生も、不条理の極みの元で奪いたくは無い。けれどそんな事は、おおよそ誰しも本来は同じ方角で向いている筈だと思う。けれど。
どうすればあらゆる矛盾を取り除いてこうあるべきを語れるか、いくらなんでも駄目なんじゃないかという年月が経過している。

「あんたがたは日本を民主主義の国にできると思っているのかね。私はそうは思わんね」(吉田茂首相が、当時GHQに対して言った言葉)。まるで予言者の言葉のようでドキンとしたが、その通りかもと認めるべきか、いや、そんな事は無い自分達だってともう一回見直すべきか、グラグラ揺れながら傍観していては、始まらない。
今日も、そして8月6日も9日も、近くの寺はその時刻に鐘を鳴らしていた。
祈りの音。思い出させる音。明日へと続く音。

谷口菜穂子写真事務所
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