最後の一葉。

中学英語の教科書に、O・ヘンリー著「最後の一葉」が載っていたのを思い出す。洋楽ばかり聴いてたけど、教科書英語にはまるで興味が無かった。でも、この短編小説は今もはっきりと覚えている。
ワシントン広場の西側。グリニッジ・ヴィレッジの小さなアトリエで暮らす若い二人の作家。ある時病いに伏せて、窓向こうのレンガ壁につたう蔦の落葉と、自身の命の終わりをカウントするジョンジー。ルームメイトを気遣い、スープをすすめるスー。虚勢を張る老芸術家のベルマンが、命を賭けて壁に描いた最後の一葉。
そんなに描き込まれた挿絵では無かったけど、添えられた簡素な線画は想像を膨らませるのに充分だった。貧しい作家の二人がすするスープの音も、レンガの壁の色も、寒々としたニューヨークの晩秋も、頭の中でもくもくと妄想出来た。
小説が書かれた頃はまだ、カウンターカルチャーの聖地だったこの地も、私達がそれを読んだ頃にはもう既に高級地化されてたんだと振り返る。その後のソーホーも、ブルックリン橋を渡ったダンボも高級地化されたと聞く。でも、その頃から枯れ好きだった私には、グリニッジ・ヴィレッジの想像上の枯れ感と、この小説の、どこかぎゅっとねじれたぎりぎりの幸福感は堪らなかったのである。

さて。妄想ニューヨークから京都の片隅へ。
うちの庭の先には高低差を補うべく向かいの家のコンクリート壁があって、そこにも蔦の葉が広がっている。そしてうかうかしていると見逃してしまうのだけれど、秋が終わりに近づく度、葉が一枚、一枚と紅葉しては落ちていく。毎朝、窓越しに季節の変わり目を眺めて。
何故だか唇に出来てしまったヘルペスの、かさぶたをポロリ触る今。なんかね。ちょっと物悲しくて、薄皮を剥ぐ時の少しの痛み、でも平穏というのが自分の場合、丁度良い。溢れんばかりの豊富ななんとか、は多過ぎて選べない。
ちなみに、本文と写真はコネクトはしていません。
ミキサーでぐうんと材料混ぜて焼いただけの、濃厚なチョコレートチーズケーキ。りんごの花のはちみつで漬けた、ミックスナッツを添えて。