京都で感じる沖縄。

 この時期の恒例行事。

 京都三条大橋のたもとにある檀王法林寺で行われる「沖縄フェスタ」へはここのところ毎年、お寺のすぐ側にある英国式パブでかつて、共に働いた頃からの長い付き合いである親友らと参加している。お寺に併設している保育園にはそのうちの一人が保育に関わっており、その保育園ではエイサー踊りが熱心に教えられていて、フェスの出番の中に友人も、子供らと一緒に参加している。

 京都の街中のお寺で何故沖縄フェスなのか。そこには檀王さんと沖縄芸能の深い関わりがあるからだ。

 檀王法林寺を開山した袋中上人は、慶長3年(1603年)、琉球(沖縄)に上陸し、3年の滞在の中で浄土念仏の布教を行ったのだそうだ。元々、土着信仰が強い琉球にあって、これまでの難解な仏教でなく、誰もが特別な修行をしなくても、ただ念ずることによって救われると説いた教えにより、国王を始めとして一般民衆にも広く影響を与えた。中でも現代に伝わる沖縄の伝統芸能であるエイサーは、その起源を精霊送りの際に行われる盆踊りがもととなっていると伝えられ、布教の際に上人が伝えた念仏踊り、つまりエイサーの祖は袋中上人であるとの説が強くある。

 このような歴史上の深い関わりを持って、この地で毎年、沖縄フェスタが行われている、という訳だ。

 当日は本堂がまさしく舞台となって演者が次々と沖縄芸能を披露し、決して広くは無い境内には沖縄の料理や生オリオン、泡盛がたっぷり売られ、小さな子供からお年寄りまでひしめきあいながら、少子化なんてどこ吹く風で、鮮やかな沖縄カラーに包まれて踊り歌い、太鼓を打ち鳴らすといった独特の空気感に包まれる。

 しかし不思議なもので、それらは全てオープンエアにして、境内ですくすく生い茂った樹木のせいか、あるいは街中の喧騒にあってか、門の外へは柔らかな音漏れのみ。山門にピクニックシートを敷いて友人らと身の上話や日常の悩み、近況報告なども聞き逃さず、片耳からは人生の悲哀や喜びをそっと撫でるような沖縄民謡が聴こえてくる。気分が高まれば踊りに加わるもよし、あるいは酒に興じるもよし。しかし絶妙のバランスで様々な世代が集っているものだから、誰に言われずとも秩序が保たれており、小さな子供らが怖がったり悲しまないよう大人らは羽目を外し過ぎず、また小さな子供らも親以外の大人にも見守られてトラブルに巻き込まれず、境内を気持ちよく走り回っている。まるで、本来的な社会の成り立ちのようだ。人を喜ばせる事がその人の喜びともなり、また人の喜ぶ姿を見てこちらも微笑みが溢れ、少し外れて人の苦しむ姿に気がつけばそっといたわる気持ちにもなれる。つまり、お寺本来の機能と懐の広さ、沖縄のおおらかな慈愛にすっぽり包まれるという貴重なイベントなのである。

 ここのところの忙しさに、ちょっと、深い悲しみに出くわしたばかりの弱い自分ではあったが、心のペダルをよいしょと踏んで、やっぱりまた、今年もここにやってきた。

 そこには変わらぬ友人らの優しさ、またそれぞれの日常の絡まりに触れて、しかしながらそれぞれの思いを越えて顔を上げ、腕を上げ、信じて身を預け、生きて語り、喜び歌う人間の姿に触れると、気持ちが少しづつ拡張出来たような、そんな心地がした。私もまた、このような社会の形成の、わずかな一員になれたらと。