仕事で新潟へ。
2004年の新潟県中越地震によって壊滅的な被害を受け、ライフラインが寸断して全村避難されたことで全国にその地の存在を知らしめる事になった山古志村。本来は、丘陵地の斜面に広がる棚田、錦鯉の養殖、闘牛など、日本の原風景が残る村として、大変美しい里山である。
今回は酒米の稲刈りという事で、地元の農家さんや市内有志の方らが棚田でたわわに実った稲を皆さん手で刈り取られた。
大人に混ざって参加していた中学生達が、「いつもお茶碗のご飯粒を残すとお母さんがうるさく言うのが、今日稲刈りの大変さを知ってその意味が分かりました」とか、「僕はまだお酒は呑めないけど、お父さんは普段ビールばかり呑むので、これからは日本酒を呑むように言います」とか、「これから食べ物は残さず、農家さんに感謝して食べます」とか、みんな良いこと言うな、って心がギュッとした。稲刈りの束からこぼれたひと枝をひと枝を、大事に拾ってまとめる姿も印象的だった。
お連れくださったクライアントさんで運転役の若いお兄さんは、山古志村出身で当時は中学生だったと言う。「大変だったけど、まあ、なるようになります」と、乗り越えた経験者だからこそ語れる強い言葉だった。
田んぼの側で振る舞われた塩のおにぎりも豚汁も、最高に美味。
お米にお菓子、日本酒と、関西に居ても実は身近な新潟。でも、結構遠くて産地の事、よく知らないでいた新潟。
全部覚えておこう。また来よう。
追伸ーこちらの方に教わったけど、演歌歌手の小林幸子さんって、震災から今も毎年、山古志で復興支援のために稲作をされてるそうだ。ずっと続けるって、なかなかできることじゃない。素晴らしい。
お米は残さず食べましょう。