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長野から山梨へ。


 7月は20日から22日にかけて、仕事で長野県は須坂、そこから山梨は勝沼を訪れた。

 長野では日本酒の蔵元へ、山梨へはワイン醸造所が目的地。アクセス的に車の方が断然良いので自宅から往復1000キロ越えの道のり。距離と内容からすればなかなかハードだけれど、遠方ロケもこのご時世にて久しく、嬉しい!と言うのが正直な気持ちだった。

 勝沼はだいぶ以前にも別のワイン醸造所を仕事で訪れたことはあったが、当時はとんでもなく忙しかったのと移動ものの仕事が多かったのでほぼ、訪れた先以外の記憶が無い。まだ若くて、処理能力もいっぱいいっぱいだったんだなあと振り返る。いや。今はあれから10年以上も経ってただただふてぶてしくなったのか(苦笑)。あちこち余分を見てインプットとアウトプットを同時に出来るようになった。
 いつでもまた、再訪できるなんて保証は、誰の身にも、実は無いからな。。。

 須坂では仕事の合間の昼食時に、ちょうど土用の丑の日でもあったから、地元のお客様がわざわざ高速に乗って、飯山にある美味しい鰻専門店にお連れ下さった。

 こちら「本多」さんの鰻。タレが全くくどくなくて鰻自体の風味が立っており、備長炭でじっくり焼かれて身はふっくらふかふか。個人的な好みかもしれないが、これまで食べた鰻の中で一番の美味しさだった。また、ヒレや頭をおそらく長時間タレで炊いて柔らかにした佃煮が絶品で、忘れがたい味。
 帰ってからネットで検索すると、創業は明治37年、「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本多平八」と讃えられた徳川家康の功臣、徳川三傑である本多平八郎一族の末裔が営む鰻専門店なんだそう。古くからの地元民は「お殿様の鰻」とも呼んでおられるそうで、今や他府県ナンバーがごぞって来られる、知る人ぞ知る有名店であった。

 須坂のお隣の小布施は、今や栗菓子で注目される所だが、散策の目にも楽しい歴史ある街並みが広がっている。
 語れるほど滞在出来なかったので、また是非訪れてみたい。


製糸業で栄えた須坂。

 お隣の小布施に比べると観光地化も控えめながら、普通の街並みの中に点在して土蔵造りのお屋敷をあちこちで見かける須坂。それがとても自然で現行使用されていて美しいとも感じた。

 どうやら、江戸末期から昭和初期にかけて栄えた街で、かつては製糸業で隆盛を極めたそうだ。
 地元の方に尋ねると、「当時の世界恐慌で輸出が途絶え、商いが一気に傾いたそうです。まあこれだけの街並みが残ったのも、時代の中でじわじわ衰退したんじゃなく、一気にダメになったのがある意味(残った)要因だったんでしょうね」との言葉が印象的だった。
 とは言え、その屋敷群はいくつかが公開されたり観光拠点になっていたりで、市が大きく予算を組んで改修され、ちゃんと歴史文化を残す努力を重ねられた結果も目前に広がる。
 如何せん仕事で訪れたので見学したのは余分の時間の早足だが、以下の写真スライドはその中の一つで、当時、麹、酒造、油、蚕糸、呉服商などを営む豪商のお屋敷「旧小田切家住宅」を。
 蔵の中のギャラリーには、改修前と改修後のスライドショーがループで紹介されており、「(時代の中で屋敷に付け加えられた、中途半端な昭和の新建材が朽ち果てる様子から)ここまでよく本来の元の姿に戻されたんだな!」と、感動すら覚えた。


 長野から立つ移動の最中は豪雨。
 ヒヤヒヤの高速道路からなんとか山梨へ辿り着き、翌朝は晴れ。
 生食用の葡萄やワイン品種の葡萄、時期の桃の畑があちこちに広がる美しい景色に心洗われた。
 残念ながら勝沼では仕事以外の写真を撮る間は無かったが、美味しい桃やトウモロコシを頂いたり、優しい地元の方らと交流したりと楽しい時間だった。
 
 まだまだ知らない日本だらけ。
 訪れる事も何かのご縁と、今後も旅を大切に重ねてゆきたい。


谷口菜穂子写真事務所
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