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石川へ。

 

 この週末の連休。

 昨年の12月初頭以来、元旦に発生した能登半島地震をまたいでおよそ2ヶ月半ぶりに石川県へ行ってきました。

ひとつはお正月に帰省出来なかったおツレの金沢の実家への顔出し。そして1番の目的である2022年秋に取得した、口能登(加賀と能登の境)と呼ばれるエリアにある家の無事をちゃんと自分の目で目視する為です。

 

 「金沢以南は無事ですのでどうぞ遊びにお越し下さい」と言われている中ですが、金沢市内は石川ナンバーや金沢ナンバーの車以外の他府県はほぼ皆無。高速は被災地に向けての他府県救助関連車両、SAではトイレ休憩を挟む災害救助で背中に色んな他府県名のロゴを背負ったユニフォームの方々でいっぱい。休日返上で逞しいお姿。心の中で手を合わせました。

 

 この時期の北陸地方らしいどんよりとした空と雨も相まって、いつもは日常から開放される海を車窓に流しても、重い気持ちになりました。

 実は家をこの度被災者世帯様向けに仮設住宅的に私が本格的に移住するまでの期間、お貸しする事を役場にエントリーしたんです。が、外観は大丈夫だったらしい家も、実際中はボロボロになっていてお貸し出来ない状態なんじゃないだろうか。勇み足じゃないだろうか。また、震災からもう1ヶ月半も経ってしまってお力になるには遅すぎたんじゃないか。加えてそもそもであの古い家が本当に、誰かの僅かなお力になることがあるんだろうか。そんな気持ちでいっぱいだったんです。

 多分、これが自分で頑張って建てた家だったとしたら、そして自分が生まれ育った故郷のお家だったら、想像を絶する不安な気持ちで押し潰されたと思います。

 

 さて家に着いて中に入り、よくよく点検してみますと、幸いにも驚くほどわずかな家財ではありますが全くの無事で、軽量な物がわずか床に落ちていたのみ。一方で土壁はいくつかの箇所で小さく浮きや剥がれ、ひび割れはありましたが総じて大事に至らず、おおよそ全ての柱の接合箇所には足元にザラザラと土壁の砂が落ちていました。建具は全部稼動OK。
 ご近所の方にご挨拶しつつ当日の様子をお聞きしても、「とてもじゃないけど立ってられなかった」と仰りましたので、あちこちの柱を「よく頑張ってくれたんだね」と、あんまりにも愛おしくなって撫でました。物件の賃貸に関して、お立ち合い下さった定住促進協議会の方や宅建業者さんにも家の様子をお褒め頂き、めちゃくちゃ誇らしかったです(これは是非、元の所有者さんご家族にもお手紙してお伝えしようと思います)。

 

 それから。

 今回やはり現地に行ったからこそわかった事。遠くテレビ画面で伝わるものは、実際には全然伝わって無いことの一つとして、同じ町内でも二つほど大きく被害を受けて、やはり液状化などの被害によって全壊などされた集落があった事を知りました。そしてお立ち合いに早速来て下さった、ご自宅が全壊された被災者世帯のご家族様ともお会い出来、お借り頂ける方向でお話が進んだんです!

 ご不安とお喜びの混じったお顔を拝見し、感謝の言葉を余りあるほど頂いて、こちらこそ過ぎるほど、胸がいっぱいになりました。古い家でまだ住んでもなかったので暮らすには不備が多いので、せめても他の賃貸条件ではなかなか無いペット同居OKに。ちなみに、元気いっぱいの兄弟猫ちゃんが2匹おられるご家族さんです。良かった!お繋にご尽力下さった定住促進協議会の方に心から感謝です。

 

 東日本大震災や熊本地震でも、行政による仮設住宅も数とスピードに限りがあり、実際には被災者さんのその半数以上が民間の賃貸住宅をみなし仮設住宅として機能させ、行政による家賃補助などの取り組みが成されたと新聞などで知りました。

 石川県でも現在、民間の持つ賃貸物件のみなし仮設住宅における家賃補助制度が整いつつあり、当初の条件の縛りがあまりにも(家賃上限や築年数など)きつ過ぎて、それでは物件が全く足りないとの事で、日々条件が緩和されつつある様です。各県や災害の被害状況によって、これらの条件は様々に異なると思います。

 一方で、民間の空き家など、本来的には県自体の持つポテンシャルも今こそまさに生かせる筈ですので、柔軟な条件の緩和によって、今まさにお困りになられている皆さんと、県内に空き物件を持っている一般の方々が、互いに協力し支え合える関係の構築が迅速に進みます様、心から祈っております。

 是非、今回倒壊から無事だった物件をお持ちの方は、今まさにお住まいの家をお探しの方々が想像を遥かに超えてたくさんいらっしゃいますので、是非ともご検討頂けたら。。。

 

 帰り道。

 近隣スーパーや物産館、酒屋3軒寄って、車のハッチバックいっぱいに、石川の美味しい地物野菜や魚、米、調味料、そして、今年度の酒造りを断念せざるを得ないほど大損壊した奥能登の酒蔵によるお酒達をなんとか手に入れて帰路につきました。能登揚浜塩田の塩は、残念ながら行った先では見つけることが出来ませんでした。必ずや、復活を心から祈っています。

 

 写真の近くのなぎさドライブウェイは残念ながら、波打ち際の車通行は閉鎖されていて誰も居ません。気のせいでしょうけれど潮の香りがいつになく強く良い香りに思えて、忘れないで、また来てね、と言われているかの様でした。

 色んなご縁が積み重なって、これからもずっと、大事にしたいと思える意味ある場所が、自分の中でようやく見つかった心地がしました。

 

 ご報告と共に。長文。失礼いたしました。

谷口菜穂子写真事務所
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