

今日は東京の青山が現場。撮影は昼からなので勿体無い病発症。朝イチの新幹線に乗って、ずっと行きたかった「岡本太郎記念館」に向かった。
なんとなく。これは記憶の書き換えか、それとも若い頃特有の東京美化によるものか。
表参道ってもっと、大きな間口の新しさというより時間の体積により洗練された店が良い意味で自己主張し過ぎず並んでいて、街路樹が伸び伸び育ち、その全体の調和が取れた(関西人にとっての都会である)バブル以降当時の大阪とは違う、緑と街の融合とそのスケール感が素敵だなと感じていた。何のバランスが壊れたんだろう。自分の主観ポイントが変わっただけかもしれないが。
そう思いながら、20代前半、ヒエラルキー最下位以下のアシスタントの身で自己主張どころかアイデンティティも根本から全否定されるような毎日、トータルで5年ほどは、ライフラインにたった一人の友達を除いてほぼその他友人とは誰とも会わない毎日だったが(会えずというのも正解で、とにかく早朝から深夜まで無給か薄給の拘束という奴隷生活に時間も金も、会わせる顔も無く)、心が壊れかけ、というか殆ど壊れていて、自己表現の手段を完全に焼き切って炭化させてしまった私を心配したんだろう友達が誘い出してくれたのがこの辺りだった。

廃校で開催されていたアートイベントの、何をか言わんや見る側に対し「解る人だけ解ればいいですよ」という態度の漂いに悪態をつき、表参道のテラス席があるカフェで通りを眺め、また歩き出して、当時友達が作った音源をイヤフォンの片耳づつで繋がりながら(時代。今ならワイヤレスイヤフォンだろうな)、俯いて靴音と同期させて聴き入った思い出は未だ私の中で手放せずに宝物のようにしまってある。私の方が何も無い事には格段上回っていたが、言っても共に何者でも無かった頃の楔でもある。
この友達となら東京と言わずどこまでも歩けそうな気がしたが、今や互いにそれぞれの道と着地点が遠く離れて、何か特別なトピック、写真展をやるとか、ライブをするとか、そんな成果報告の無い限り、なんでもない日に会うことも無くなってしまった。
当時、中年になって、ある程度身の回りが落ち着いたらまた、枯れたカフェの片隅で話し込んだりするんだろうねと言い合ったのに、その約束も果たせていないし、そうもならないだろう結末の最中にあり今もって落ち着いてもいない。何事も動いているし、なんらかを継続することで、また取り組むべき別の課題が出没するというのを、若い頃は全く想像してはいなかった。多分、あの約5年間で一生分語ったんだ。そう思おう。

話が外れた。
恐らく、クリエイターであれアートに遠い人であれ、そんな、美術の教科書でフューチャーされてた記憶も無いのにまず誰もが知っているだろう「岡本太郎」。大阪に車で行き来すればまず「太陽の塔」に毎度こんにちはするし、東京の人だって、長らく行方不明だったものがメキシコで発見され、渋谷の連絡通路に掲げられることになった巨大壁画「明日の神話」も今や景色の一部だろう。
我々の年代だと当時はテレビにも頻繁に出ていて、目を見開きつつもこちらと焦点を合わせず、両手を不均等に開きながら「芸術は爆発だ」等、数多のライターだって決して表せない明文単文を言い放つひと。
では、個人的に岡本太郎の作品が好きかどうか?と問われたら、多分今まで「分からない」と正直に答えてきた。嫌いか好きかのゼロイチの間で言えば、嫌いじゃ無い方の「分からない」。分からないから妙に知りたく思う。だから避けても来ずに、でもどちらか言えば出来上がったものの探求よりも、例えば太陽の塔の製作にかかった滋賀県の信楽でなんらかに触れてみたりを好んだ。その延長上に、いつか記念館に行ってみたいなというのがあった。

ところで、住所は分かっていても実際に訪れてみると、改めてこんな都心に(元々生家であったらしい、が故の生粋の、全く無理してない感が醸し出されている)アトリエを構えていたというのに驚いた。が、通りからセットバックした形で庭があり、しかもどこの国とも限定し難い樹木にまみれたジャングル状に、作品がひょこひょこ顔を出している。
(庭の観点から見るのに説明としてわかりやすい資料「おにわさん」記事リンク)https://oniwa.garden/okamoto-taro-museum-tokyo/
建物もいわゆる大豪邸というサイズでは無いし、建築家・坂倉準三のものだから一見、モダンすぎて住み心地感が想像出来ないけれど、何故だか居心地の良さみたいなものを感じるから不思議だ。なんで?こんな原色まみれでヘンテコな形状の作品に囲まれているというのに。

時期的に大阪の万博とあって、ギャラリーエリアには「太陽の塔」にまつわる企画展が催されていた。当時の縮尺模型内部と、現在の再生された縮尺模型内部の対比も興味深く、あれがない、これが無いと見比べるうちに何故、いっそ再生されるなら完全再生されなかったんだろうという理由を知りたかったがネット上でそれを語る記事は今の所探しきれてない。
ひとしきり見終わってから、グッズコーナーで思わず何やかやと購入している自分に気付いた。おっと待て。せめて小さいものでも手元に置きたくなってるではないか。両手両肩はもう既に、どうしようもないくらいに重い機材を抱えて、もうどこにも手は無いぞ。
記念館を出てから、仕事現場に向かう足取りが格段に軽くなっているのにも気付いた。大体、展覧会などを見るともうなんだか1日終えたような気持ちになるのが常なのに、言葉そのまま「元気」を得ている。これか。これなのか岡本太郎。

無理なく自然体で、実際自己演出が無いか、あるいはあっても制御出来てない。そうでなければ生きられなかった一人の芸術家の結果濁りの無さに洗われた気がした。しかも泣きも切なさもない。かと言え、のほほんでなく憤りや、時に怒りや、探究することに体当たりしたひと。
この出逢いのおかげでその後の仕事はとてもスムーズかつ有機的なものに仕上がったし、加えて私の中のセンチメンタルな青山の記憶にはまたひとつ、抜け道のようなものが見出せたような気持ちにもなった。
ちっぽけな私。でも、これも私であるなと。
岡本太郎「太陽の塔」の秘話やその後、全面解体から保存留置、現在の保存決定と再公開に至るまで。プレジデントオンライン記事が垣間見れて面白い。↓
前編
https://president.jp/articles/-/94196
後編
https://president.jp/articles/-/94210?page=1