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目で触れて撫でる「旧岩崎家住宅」。


 明治29年竣工。ジョサイア・コンドル設計、三菱創始者の長男であり岩崎財閥3代目・岩崎久彌の元私邸「旧岩崎家住宅」(東京都台東区湯島)へ。

 現存するのは木造2階建+地下1階スレート葺の洋館と、洋館に接続する寄せ棟造り桟瓦葺でかつては広大な和風建築だったものの一部和館。別棟の木造平屋スレート葺コテージ風のビリヤード室。

 これら建屋は、岩崎家が土地を購入する以前は旧舞鶴藩主牧野氏(更にそれ以前の江戸時代には越後高田藩の中屋敷)による大名庭園に建てられたもので、当時あった池は埋め立てられて芝生化。現在の庭園は国有化以降の用地転用や売却により大幅に削り取られ、元の1/3程の面積となったそうです。

 それでも尚、より極めて加速度を増す大都市化の東京にあって、驚くほど広大な土地と緑、屋敷群の規模に驚かされます。

 

 和館の大広間にてツアーガイドの説明を受ける団体に混じり、耳を傾けました。

 

 「GHQに接収された時も、岩崎久彌さんはまだご家族と共にお住まいになられていたそうですが、GHQが建物全体に居る中を大変僅かなスペースでお過ごしになられたそうです。ここ畳敷きの大広間も、GHQは土足で過ごしていたそうです。そしていよいよ財産税の物納として土地建物が国有財産化されると、ご一家は屋敷を去って千葉の富里へと転居されました」。

 

 関東大震災でも崩れず焼け落ちず、その際は地域住民の避難場所として解放されたのだそうです。

 その後、世界大戦期の戦火、大空襲にも生き長らえ、敗戦後はGHQに占領され、財閥は解体されて財産を没収され、GHQの次は日本政府のものになり、その多くの土地建物を失う中も、こうして目の前に残った建物、その存在を体感出来るありがたさ。

 その思いと同時に、確かに持てる富んだ方であろうと、これほどまでに拘り抜いて、愛して止まなかったであろう大切なものを失った絶望と悲しみは、自分のような持てるものが何も無い人間には、あまりのスケールに計り知れない気持ちが募りました。

 見識の深い造形作家の友人にこの地を訪れた事を告げると、「設計はさりとて、実際に造ったのは日本人の職人で、竣工年からすれば、大工は皆おおよそ想像するに、江戸時代の人って事だよ」と。確かに。

 ただただ財を成して贅を尽くせば建てられるものでは決して無く、過ぎた歴史の重みと時間の体積は、唯一無二の質感と共に、光を放ち、色を放ちます。

 ちなみに、全ての建物は重要文化財指定を受けており、手で触れることは禁止。三脚不使用、階段室途中の撮影は不可、手持ち撮影のみにて空間の陰影が殊の外深く、一部フォーカスの甘い画像がありますが、目で触れ、撫でるように撮る事を心掛けました。

 2001年に東京都に移管後は都立公園として開園、2003年より館内の改修が完了して通年公開を開始されたとの事で、一般の我々がこの財産を空間共有することが出来るようになったのはほんの僅か前の事になります。

 


 

 この後、最後の寄り道と思って、久々に浅草へ向かってみましたが、途中途中、目前のオリンピック準備なのかあちこちがテーマパークのように様変わりしていて、多くの外国人観光客もまるで伏見稲荷のようにたくさん来られており、圧倒されて、浅草駅地下街の古ぼけた店に逃げ込んで、焼きそば餃子セットと芋焼酎ロックで落ち着きました。

 すぐそばまで駅はこぎれいに改修されており、まるで箒とチリトリでは拭えずに壁際に散らされたホコリのような気分になりましが、自分にはそんな場所の方がとても、居心地が良かったです。

 

 不思議な取り合わせ。焼きそば&餃子セットは平日650円。お値段も一昔前ですが充分に満たされました。

谷口菜穂子写真事務所
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