夏に乱れそうな、七つの布施。

 今年の夏は、数日間、止む気がしない程の長く激し過ぎる雨と共に、いきなり場面を変えてやって来た。

 記憶にある子供の頃からずっと、梅雨明けとはおおよそ、祇園祭の宵々山、宵山あたりにちょっと激しい夕立が2、3日ほどあって、それから本格的な夏を迎えるものだった。からりと晴れた空に巡行が終わると、待ちに待った夏休み。そういう順番だった。

 祭の日には、着せてもらったせっかくの浴衣は夕立でずぶ濡れになって、雨宿りしたくてもこの時期は特別料金でどこのお店も飲食が高く、若過ぎる二人には何処にも入れる余地が無い。帰る頃には連れ歩く彼氏共々不機嫌になって、下駄の鼻緒も食い込んで一層顔が歪む。言葉無くあたりを見渡すと、自転車の二人乗りの若い男女も同じ様。土砂降りの雨に顔を俯いたまま、濡れ雑巾の浴衣に乱れ髪で走り去ってゆく。

 ほんの数年前から、山鉾巡行が二度に分かれて復興されて、空もいよいよ戸惑ったんだろうか。

 私もこの時期は仕事の慌ただしさが重なり、祇園祭は遠い。

 そんな中、自分の中で季節の帳尻を唯一合わせているのが梅干し作り。

 梅雨時期に大きな実を成す梅を塩漬けし、充分の梅酢が上がるのは梅雨明け頃。干すのは土用の頃と言われているが、これも通年とは違って夕立には全く遭わず、今年は一度も、慌ててザルを家の中に避難させる事も無かった。ちなみに、我が家の梅干しは赤紫蘇を加えない白干し。と言っても干す前には黄金色で正確には白色では無い。色付いて無い梅酢は調味料として重宝だという理由で紫蘇を使わないのだが、梅は不思議なことに、4、5日も干していると程よい紅色に仕上がる。

 それにしても、この炎天下の中も梅干しは元気だ。カリカリに干上がることも無く、壺にしまうためそっと掴むと、指先になんとも言えない柔らかな感触が伝わってくる。この暑い中、外で終日作業される方にはどうぞ、梅を一粒食してもらえたらと願う。

 さて。きっとその昔は東福寺の寺領であったろう筈の我が家のある町内には、何故だかお地蔵さんが無い。昭和40年代に再開発されただろうエリアなので無理ない事かもしれないが、夏の恒例行事、子供達にとっては一大イベントの「地蔵盆」も無い。

 地方に伝わる空洞化も幸いな事に、この辺り、自然は豊かで静かな一方、交通インフラ等の利便性は高いため、開発時に住まれた方らはご高齢ながら、住み代わりに若い世代も増えて、小さい子供らも増えたそうだ。そこで、町内の集会にて地蔵盆に成り代わるちょっとした子供ら向けのお祭りをしたいと、提案があった。場所は東福寺の塔頭寺院の一つにて。境内裏の竹を切って流しそうめんをするというのがメインの手作りなお祭り企画で、回覧板には、差し入れの協力をお願いする紙が回って来た。

 時が流れる事で憂うことが昨今、あまりに多いが、悪く無いことだってきっとある。ネットショッピングという気軽で現代的なシステムで、「駄菓子」「詰め合わせ」と検索すると、まるで菓子問屋で買える様なものをどっさり買う事が出来て、町内会長さんにダンボールを託した。

 子供の頃、夏休みといえば地蔵盆が本当に楽しみだったという思い出を振り返れば、育った町内に、我が子同様、全ての子供達が大好きで仕方なかった地域のおじさんおばさんらのお陰様だった事が蘇ってくる。手作りの引換券に、おやつもいっぱい。家庭用品などが当たるクジ引きもあって、良いのを引き当てると母親が喜んでくれた。時間ぎっしりのめくるめく出し物。盆踊り。子供らでチームを作って人形劇や寸劇、手品、クイズ。。。楽しかったな。ウチは財布事情で、自分の名前入りの提灯は作ってもらえなかったけど、たくさんぶら下がる提灯に、あるわけのない自分の名前を毎年密かに探したのも、なんだか切なく愛おしい思い出である。

 と、物思いにふけっていたら、玄関チャイムが鳴った。会長さんが手分けして、買い物袋にお菓子を詰めてお祭りのおすそ分けを下さった。

 「子供たちも本当に喜んでました!」。祭の成功に弾む声を聞いて、お菓子ももらってとても嬉しかった。

 かつて自分がやって頂いた事に、お返し出来る瞬間がやっと訪れたのかもしれない。あまりにささやかだけど、出来る事少しづつ。

 

 またどうか、来年も、誰もが無事で、幸せな夏があって欲しいと願った。

 

 

注)地蔵盆とは。

近畿地方を中心とした、地蔵菩薩の縁日に催されるお祭りのこと。地蔵のある町内にて、この日にかけてお地蔵様を洗い清めて新しい前垂れを着せるなどして飾り立て、地蔵の周りに灯籠を立てたり御供えをする。今日では子供のためのお祭りとも言える。数珠回しや子供向けイベントなどの趣向が凝らされ、京都では子供が生まれるとその子の名前を書いた提灯を奉納する風習がある。