五百羅漢と伊藤若冲。そして吉井勇。

観光客で大賑わいの伏見稲荷からほど近く。
伊藤若冲が筆をとり、石工に彫らせた五百羅漢の石像群がある石峰寺へ。
若冲が晩年を過ごした古庵は何処だろう。お墓はあった。訪ねる人はまばらで、白川石による羅漢様らの気配のみ、無数に広がる稲荷山麓。
時の経過にさらされ、いつか野山の成分となりそうな石像群。制作された頃もそうだったろう、まるで伏見人形のような愛嬌ある表情や仕草は一層増して、柔らかで穏やかで、角も無く丸々と、そしてなんとも儚気な風情で佇んでおられる。
新緑高まる静かな野山。竹林の中で笑っていたり、天を仰いだり。首をかしげたり、肩寄せ合ったり。寝転んでみたり。
みんなみんな。石になる。

東京から京都へ移り住んだ矢先頃の歌人・吉井勇は、同じく歌人仲間に連れられて知る事となるこちらの五百羅漢に魅せられ、いくつか歌を詠んだそうだ。その時々の心境と共に謳われた中から、お寺のしおりに引用されていたものをひとつ。
「われもまた 落葉のうえに寝転ころびて
 羅漢の群に入りぬべきかな」ー吉井勇

残念ながら現在、石峰寺の羅漢群はスケッチも写真撮影も禁止。その理由は過去にカメラマングループを称した人達の無謀行為が原因とされる。この顛末はとて も情けない話だが、二次元から結界を設ける事は、視覚主義に走りがちな今の世には良かったんじゃないか。ともすれば目ばかりを記憶の頼りにしがちな自戒も 込めて。
巷に溢れる写真群などまるで及ばない、歌にはその場や心情を伝える奥行きがある。
強い印象と、いつか消え去る記憶のような。