師走の京都にイノシシ現る。来年私は年女。


 〜この数年。訪れる人がさらに激増し、クレーンがあちこちで空を伸び、土地の資産価値の高まりと高齢化のタイミングが合わさったのか、かのバブル期にもこれだけ街が変わったろうかと思うほど、変わりゆく京都を端っこから叫んでみる、という行き当たりばったりの小話。


 

 私の現在暮らすエリアには、南に近年外国人に大人気の伏見稲荷、北へ紅葉名所の東福寺があります。

 そのお陰でこの二つを繋ぐ本町通りという伏見街道は、朝早くから日本人を始め、海外からの旅行客が大勢行き交う通りになりました。

 しかし一方で、東はすぐ山手と極めて限られた平地にて抜道もごく僅か、住宅地でもあり、企業あり学校あり車通行ありの混在エリアですので、混雑時にはまあまあ危なっかしい瞬間があります。

 

 さて、そんな中。おツレが仕事から帰宅して夕食後、ただ単なる日常の一コマ話を呑気にし始めました。

 「朝、本町通りを無防備によそ見して歩いてる外国人(欧米系)のカップルが居てな。自転車で接触しそうになって、急いでてつい『〇〇〇〇!』言うてしもたらな、女の方が『No!!!』て叫んだわぁ」。

 

 伏せ字はご想像にお任せしますが、いわゆる英語バッドワーズです。誰でも外国語を一番に覚える時、悪い言葉だったりしますよね。

 いや、日本語だって、小さな子供が喋りたての頃に悪い言葉を身につけるのは早いです。おツレさんは海外映画が大変お好きなので、英語なんて喋れないくせ単なる台詞としてインプットしちゃってるんでしょう。

 しかし、私はその状況に笑えませんでした。無邪気だから余計、言われた相手の気持ちになればバランスが悪すぎると思ったんです。相手の方もNo!と叫ばれたということは、まるっきり聞こえてしまった、ということ。

 ちなみに、おツレは普段、私のように横柄なキャラでも無ければ声の大きい人間でもありません。

 だのに何故。

 

 これは友人であろうと知り合いであろうと他人であろうと、そもそもで他者、あるいは他国に対するディスり言葉を普段から私は好みません。

 子供の頃、そんなに歪んだ差別意識も無さそうな、ごく普通の目上の大人が割と簡単に耳触りの悪い言葉を日常会話で挟むのを聞いて育ちましたが、悪気無い癖みたいな言葉ですら、聞くたびどんな顔していいのか戸惑いました。起点はおおよそ、昭和一桁生まれの父親が発するちょいちょい悪い言葉と、終戦直後平和平等主義生まれ、フェミニズム運動育ちの母親の価値観に挟まれて、互いの(主には父親の)日常会話を発端とするバトルの間に常々挟まれたからだと思います。
 いずれにせよ、ああいう感じは長年そう聞いてもこなかったのに、昨今また、これらの言葉はぶり返されて、お茶の間や近所の立ち話を越えて、今じゃネットという厄介にもいよいよ言葉が残る場面にまで蔓延るようになりました。

 

 観光に関する問題だけを例に取り上げても、振り返ればひとときのバブルの頃なんて、逆に海外で散財して遊ぶ日本人が、その振る舞いについて散々揶揄されていたはず。ビルも土地も、その頃は海外のあちこちを日本人が投資目的で買い占めてましたもんね。

 しかし、人は立場と時間が変われば忘れてしまうんです。

 他者を簡単に憎々しく裏で言う人ほど、実際何らかの被害を直接被ったことなんて無い。根が深く、相当年の経過したものだと個々の認識レベルだけがモノを言うから厄介。

 更に言えば、盛大に手招きして迎えてるのは自分じゃなくても、自分の支持する上の方の人達が、着物着てニコニコでお客様いらっしゃいと手招いている事すらも忘れてしまう。

 

 ともあれ、こうした言葉を聞くと、それがより身近な人からだと魅力が幾割、いや、かなり減少します。じゃあ、言わなければ良いのか、思ってるだけなら良いのかというのは大きなポイントですが、さらりと吐いてしまうほど心根で思っている、というのが私には怖いんです。

 そんな訳でおツレさんには、普段から長ったらしい文章を書く私のことですから理責めでおおよそ淡々と、以下の趣旨に従った言葉をかけました。

 

 「旅行で楽しい気分のところに、日本の印象すごく悪くされたと思う」

 「通りすがりの知らない人に運転中罵倒浴びせたり、悪態つく嫌な人居るやん。ただ日本語じゃ無いだけで、あれと全く一緒」

 「言った方も言われた方も、何にも解決しないどころか、お互い嫌な気持ちが残るだけ。なんで気持ち良い笑顔を引き出せるような声掛けが出来なかったん。その方がお互い、気持ち良い1日になったはずなのに」

 「私に謝られたところで無駄やし、その人に会って発言を撤回したり、詫びられないようなことはしたらあかんわ」。

 

 まあ、お説教が長すぎたのは、私の中でも言いたいことの要領が掴めてないからです。

 おツレさん。だんだん顔色が変わってきて、遂に切れました。

 「そこまで言うことないやろが!」

 こうなったら趣旨返し。日本語でキレてきました。高圧的な物言いをして人を黙らせようとする手は更に苦手です。

 吐いてしまってすぐ大後悔して謝りまくるおツレさんを置いて、上着も着ずにマフラーだけ引っ掛けて、自転車に乗って気持ちを冷やすべく家を出ました。

 この振る舞いに関しては、毎回ケンカ腰でギラギラの母親に加勢せず、理論武装の甲冑をあっさり脱ぎ、黙して語らずプイと散歩に出ていた父親と自分は似てるんだなと、気がついたのは暫くのちです。

 

 この時点で夜8時過ぎ。

 紅葉時期はよくぞ人の重さで崩落しないものだと思えてならない東福寺の臥雲橋を渡って、見事な紅葉谷の先の通天橋を望んでみます。しかしこんな時間、どんなに目を凝らしてもそこは、漆黒の闇に沈む谷間でしかありません。

 京都の紅葉名所となると、昨今軒並みライトアップで夜間拝観されていますが、塔頭の一つを除いて東福寺はそれをやってません。昼間はじっと我慢の子でいる地元住民との折り合いが、夜間まで至っては難しいでしょうね。そもそもで東福寺の本堂にある大涅槃図や三門の天井画を描いた画聖が、時の将軍から褒美に何が欲しいと問われて「桜の見物客の多さに修行に集中出来ないから、境内の桜を全て無くして欲しい」と頼んだことをきっかけに、東福寺には桜がありませんから、そのコンセプトからすれば紅葉めがけの観光客の多さも、明兆(画聖)が蘇ったらパニックを起こすでしょう。だからこの辺り、夜だけはその頃の静寂に戻るという訳で、誰も歩いてはいません。

 

 寒さがだんだん身に染みてゆくのを感じました。体だけが冷えて、頭はまだぼーっとしています。こんな気分の時に、しかも自転車なので飲み屋にも行けない。まあこんな気分の時なんてろくな酔い方しないだろうし、第一、ノーメイクで部屋着に毛が生えたような格好で、誰とも会話したくありません。

 

 自転車を進めて、再開発最中の祟仁地区、来たる京都市立芸大が軸になって運営中のおしゃれな仮設屋台村「崇仁新町」へ。ここはエンドレス学祭かのごとく大いに賑わっています。こんな光景、一昔前だと考えられませんでした。その向かいの2軒続きのラーメン屋は通常運転長蛇の列。それらを越えて、京都駅付近も通り過ぎて、ぐるっと旋回して八条口側にある、普段まず立ち寄らないイオンモールに仕方なく自転車を停めました。

 人がいる事で成り立つ大型モールも、人が居なくなれば途端に質感の全貌が明らかになります。

 ブルーライトが物悲しいライトアップされた木々の頼りなさに目をやる事、この時点で9時前。貧しく空虚です。

 カルディで仕方なしエスニック食材を買っていると9時閉店のお知らせ。フードコートは10時ごろまでやってるそうで、これまた普段まず行かないコメダの喫煙ルームに入って、明るすぎる照明の中、知らなかったよ有田焼だったカップでカフェオレを飲みながら、どうして愛知本店だったら瀬戸や多治見などの焼き物じゃなかったんだろうと、考えを逸らすのに必死になります。

 そんな同じ喫煙ルームには、おしゃべりに夢中の子連れのお母さんが二人。ただでさえ狭めの空間で、子供らも可哀想にさぞ煙たいはずですが、お母さん自体が喫煙者だから申し訳ないけど遠慮してられません。まあ、昔の親なんて子供の側で煙草吸うのは平気だったし、私の親もドライブ中は車で煙草吸ってたもんな。子供の頃は嫌で仕方なかったけど、今や私も喫煙者です。

 でも、反面教師って言葉もあるんだよ。ごめんな。

 

 と、そんなこんなで落ち着けるわけも無く、手元に長居出来る小説があるわけでも無く、そそくさと店を出て、そこから東寺に向かいます。

 さて、こちらもライトアップされてるはずが、もう10時にもなれば終わってますよね。それでいいんです。

 五重塔は、夜空の黒い切り絵のように、シルエットだけが確認出来ました。ここも誰一人居ません。

 

 以前京都をよく知る人が「静かで暗い夜の京都は何処へ行った」と嘆かれていましたが、いえいえ、まだまだそれは場所によって健在です。

 照明が多い少ない、ビル群が多い少ない、人が多い少ない、物騒かそうじゃ無いか、そんなのは関係無し。その他の地方都市とはまた違って、夜の京都は中心からちょっと外れればまだまだ静かで、恐ろしく黒く、ひたひたと怖いです。

 ふと、もう四半世紀以上前に木屋町の飲み屋で彼氏と喧嘩して、店を飛び出したはいいけどタクシー代さえ無く、当時住んでた修学院まで歩いて帰った日の事を思い出しました。

 あの頃の夜道の恐さと、たいして変わり無いよなぁ。と。

 

 アスファルトやそれ風の石畳を引っぺがさなくても、長年の歴史恨めしや。

 この時間ともなると、足元からじわじわ、冷え冷えとした歴史の澱みが京都を語り出します。

 やっぱりそんな、積年の恨み辛みなんて、埋蔵文化は見なかったこと、土壌改良とでも称して土を総替えない限り、無かったことには出来ないのが京都なのかもしれません。

 ただし、掘ればあれこれ出てきてややこしいから、掘りもしない、厳密に言うとそう、これまで掘りもしなかったのが京都です。

 地下鉄一本掘るのにも四苦八苦。交通インフラにイライラすると、遠い過去、消えてしまった路面電車に想いを馳せるわけです。これもいずれは根深い恨み辛みになるのやら。いや、もうそれは始まっているのかもしれません。

 

 そうそう。先日、京都の建物の高さ制限を緩和する、曰く「規制のおかげで高い建物が建てられず地価高騰の要因になっている」との方針転換を行政側でされるそうですが、毎度毎度、高さ制限を諸悪の根源みたいに言うのもちょっと聞き飽きた話です。建物を高くすればするほど、足元強化の為に地下も掘らなきゃならないですから、あれこれ未来に盛りたい志向にとって足手まといの土の中は、上背の高いものは建てられないとしてある意味辻褄のあった条例とも言えるはず。

 土の上の景観論争につい目が行く高さ制限ですが、大文字が見える見えない以前に、本来的に足元から出来る出来ないが限られていて、不便を強いる側の言い訳だって「誇れる歴史を背負ってますから」と、はりきって言い通してもいいんじゃないか京都。

 不可能を可能にするなんてエネルギーは、前のめりすぎてもはや時代錯誤。パンドラの箱も、「ないない(無い無い)しとこ」で蓋で密封してくれていたのは、実権を握る側の筈、だったんですよね。。。

 頑張って、方々の文句を聞かされて対応に苦慮される中央の方々には、気の毒過ぎる矛盾都市ですが。

 

 横道に逸れました。

 さて、大通りから一歩外れて一方通行の通りや路地を入れば、住んでる人もぴしゃりと扉を閉じて、誰もむやみに出歩かない夜が広がっています。

 スーツ姿のサラリーマンか、犬連れ夜散歩のおじさんじゃない、要は主目的がはっきりしないノロノロ歩きの日本人と出くわすと逆にちょっとひやっとします。むしろ、こんなとこにもあるか?!と言うような普通の住宅街に昨今出没した町家リノベゲストハウス目掛けの、外国人観光客、カップルや少数グループに出くわす方がなんだか安心です。皆さんだいたい、楽しそうに語らいながら歩いてられますから。

 そんなことを今更思いながら、なんとも、自分の中ですら整理のついていない、変わりゆく地元がどんな風にあれば良いのか、観光と生活の両立ってどうすれば良いんだろう、なんて、自分のような何にもなしの人間にはまるでどうしようもない事を、つらつら思いながら自転車を漕ぎました。

 

 南北は十条から七条、東西は大宮から川端までの範囲をくるくる走って、完全に体が冷え切っても、まだ気持ちが収まらないまま結局、七条本町通りを南下して家付近まで戻ってきました。

 本町通りの「大黒湯」に出くわした時、ああ!出掛けにもうちょっと冷静だったら、風呂屋の準備をして出たのにな、そしたら体も温まるし、時間も潰せるし、気分転換も出来たろうにと後悔しました。

 そこから家に辿る十字路を通り越して、伏見稲荷まで行くと、長年怪しげな雰囲気を放っていた小さな小さな市場の軒先で、自分なら絶対買わない値段の牛ステーキ串が外国人観光客にばか売れしてた所が丸ごと、更地になって、既に鉄骨が組まれていました。

 よっぽど串焼きが売れて儲かって、大きく資本投入して今度は本気で観光客めがけの建物にでもするんだろうか。それとも場所もすこぶる良いし、高騰した土地をいよいよ手放されたのか、など妄想しました。

 ともあれ、あの怪しさを再現されることはもう二度と無いでしょう。

 

 伏見稲荷は、緩やかな坂道に本殿がほんのり灯で浮かんでいるのを見通せました。

 薄暗くて、地元の友達が昔、殊の外怖がっていたまさしく伏見稲荷でした。つまり、ほぼ人っ子一人居ませんでした。

 

 これでも、全く気持ちの整理はつかないままですが、寒さも限界だったのでUターン。

 

 最後に、かつてはこの街道沿いに数十軒とあったらしい、現在唯一残る「伏見人形」の老舗の前を通り、薄暗い町家の、スポットライトなんかある訳無いショーウィンドウにじいっと目を凝らしました。するといくつかの年代物の伏見人形に囲まれ、中央にポツンと、しかしまあまあ大きいサイズの来年の干支「亥」が暗闇から浮かび上がってきました。

 

 伏見人形の独特のほのぼの感、だけじゃないウィットと言うかピリッとした怖さと言うかが私は大好きながら、干支ものでは以前たまたま人から頂いた兎しか持って居ません。そのウサギですが、眼つきはたいがいで、体つきはボテボテで、すこぶる愛嬌があります。

 他では決して見られない、干支にまつわる土人形。しかしこちらでその他の干支を毎年買おうと思う頃には早々に予約が締め切りされて、残念ながら未だずっと、買い揃えられずに居ます。

 さて、置かれている「亥」は、薄暗がりの中、なんとも目の表情がふてぶてしくて、それでいてやや上目遣いで、ぼってりした体格は土のくせ軽快、そのバランスの悪さや不格好さがたまらなく可愛く思えてなりませんでした。

 カラーリングも最高じゃないか。なんで鼻とひずめが青色やねん。

 

 そしてようやく、ほこっと笑う事が出来ました。

 

 ちなみに、私の干支は亥です。言われるような猪突猛進型とはスパッと言えない、もたつき感と、頑固で融通の効かないところがあります。

 ここでようやく自分の中にも確かに存在するバランスの悪さと向き合い、今晩の趣旨が見えた気持ちになりました。

 

 しかしほとんどが漠然としたものです。

 はっきりと言えるのは、明日、この店の暖簾を勇気出してくぐって、亥の予約をしてみよう、と言う事だけです。