包丁の思い出。

 

 京都は東山三条の「古川町商店街」にある「常真」さんへ、出刃、薄刃、刺身包丁を研ぎに出した。

 

 これらの包丁は今からかれこれ30年以上前、父親が早期退職して飲食店を始めた際、元職場の同僚の方々から贈られたもの。慣れない客商売やら不運やらが続いて僅か3年ほどでお店は畳んだが、その後も料理好きの父親がずっと愛用してた。包丁研ぎもその昔からマメで、とろんとした水音や刃物の砥がれる音を側で聞くのが子供の頃から私は好きだったが、「下手なもんがやったら包丁が駄目になる」と、決して砥がせては貰えなかった。駄目になると言われれば尚恐々になって、いまだ家にある良い包丁については自分で研げないでいる。

 

 かつて父と兄と私の三人で家に居た時、話の前振りは忘れたが何故だか砥石の話になった。

 父が「ほんまはもっとええ砥石が欲しいんやけどなあ。でも、高いんや」と言うので、「砥石にそんな良いも悪いもあるんや」と、呑気に私が訊ねたら、兄は「お前なんも知らんねんな。ええのはほんま、びっくりするぐらい高いねんぞ」と言う。

 「お兄ちゃんが包丁研ぐ事なんかあるんや(みた事ないけど)」。悔し紛れで返してみた。

 「アホか。庭屋が刃物砥がんでどないすんねん」。

 「市場の近くに砥石の専門店があって、5年ほど通ってんのに店のおやっさんに声かけられるようになったん、ほんまつい最近や。ええの買えへんどころか、素人には売ってもくれへんねんぞ」。

 高校卒業後に京都の造園屋さんに就職した兄。普段は(私とは違って)口数が少なく、仕事の話などほぼ聞いたこともなかったが、珍しく長いセンテンスが新鮮だったので今でもあの時のやり取りをはっきり覚えてる。へえ。お兄ちゃん、ちゃんと仕事してるんや。刃物毎日研いでるんや。砥石の専門店なんかさすが京都。そもそもプロしか行かへんやろに怖そうやな。。。ふと、父の顔を覗いたら顔がほころんでた。「そのおっさん、ちゃあんとお前のこと見てるんやな」と、ポツっとこぼして。

 お兄ちゃん、あの横顔気づいてたかなあ。

 

 懐かしき家族の会話。そんな日もあったんだと、包丁を見て、思う。

 

 商店街入り口からすぐ、ほんの小さな間口の「常真」さんでは、店主さんとその奥でひたすら良いリズムで包丁研ぎをしてるお兄さんがおられた。

 3本の包丁を見て、「お商売で使われてるんですか」と訊ねられたので、「いや、親の形見で大事なもんなんですが、大事にしてなくてすみません」と答えたらにっこり。大丈夫ですよ、治りますよ。そんな笑顔で返された。

 待つ事数日。

 お値段はまあまあ、放置してた分だけ値は多少はったが見事な刃に蘇った。美しいな。お父さんも喜んでくれるやろ。

 「良い包丁の保管の仕方、手入れの仕方ってありますか?あの、台所の扉の裏側についてる包丁置き、あれ、なんか全然駄目ですよね、きっと。。。」と聞いたら、「ああ、あれはホントに駄目です。よっぽど毎日使う包丁だったらまあ、ですけど、湿気がなんせ、駄目なんですよ包丁は。」との事。そう言えば、親に口酸っぱく言われてたな。包丁だけは洗ったらすぐ、よく乾拭きんで拭いて乾燥させよ、と。これだけは守ってきたけど、それだけじゃやはり錆びる。

 「刃物手入れ用の椿油を使ってみてください。それから、置くとこなんですが。。。例えば中華屋さんとか、タウンページに挟んではりますよ。笑。湿気を防ぐのに良いんでしょうね。まあとにかく、あんまり使わない包丁は、よく、お肉屋さんとかで使ってはるような紙あるでしょ。あれで包んで貰えたら。要は湿気を通さないもので包んでおくと良いです」と、教えてもらった。

 

 さて。刃物研ぎ「常真」さんは、天然砥石仕上げの、京都でも数少ない大型回転砥石を持つ刃物研ぎの専門店だ。お店のある商店街は、京の出入り口を表す「京の七口」の一つで、東海道・中山道が伸びる「粟田口」が三条通りの東方面延長上すぐにある。

 ちなみに、平安、鎌倉時代には刀工が多く住んでいたとされる粟田口には粟田神社もあり、その末社に鍛治神社があって刀工・粟田吉光や三条宗近が祀られている。また、同じく粟田口にある合槌稲荷神社は、三条宗近が稲荷明神のきつねの助けを借りて、名刀「小狐丸」を作り上げたと言う伝説が残っているそう。今はこの辺りに刀工は残ってはいないそうだが、刃物を守り、大事にするお店としてこの位置に存在するのはなんか良いな、と思った。

 

 椿油は、親の故郷である鹿児島の名産品をこないだ行った時に買った。

 思い出の包丁。これからも大事にしよう。