私の通っていた共学の公立高校は、敗戦後までは西の学習院と呼ばれた、良家の才女が通う女学校だった。
がしかしそんな特別な学び舎も、特別な子達もどの子も全国もれなく、戦争末期には深刻な労働力不足を補う為に学徒動員として駆り出され、校舎もにわか軍需産業の製造場と化した。
女学校校舎では躯体はなんと木製で、翼は布張りという、通称「赤とんぼ」と呼ばれる空軍の操縦練習用飛行機(本当の末期には特攻隊の飛行機にも使われたそうだ)の部品製造をさせられたそうだが、この頃女学生だったお一人のご婦人のお話が記憶に残っている。
「自分たちのような素人にこんなものを作らせているようではもう、この戦争は負けるに決まってる。それからどうか、この部品をつけた飛行機に、若い兵隊さんが乗ることがありませんように。。。と、思いながら、祈りながら、刃向える訳も無く仕方なしに作っていた」と。
ほんの1、2ヶ月か前のこと。海外でコロナ対応で医療崩壊が起こっていて、医療現場の方は今や、防護服が足りずにゴミ袋をかぶって最前線で立ち向かっているというニュースが流れてきていた。それをまるで対岸の花火を、なんてことだと辛く、悲しい気持ちで見ていた。
しかしここ、日本でもじわじわとそれは忍び寄って、地域医療の拠点がポツポツと感染源となっているのがニュースに流れるようになった。
国の偉い人が肝いりで布マスクを各ご家庭に2枚づつ配ると言うのについて、医療現場に必要な医療マスクを優先で配布すべく、国民には布マスクで、みたいな事を言っているのを聞きながら、申し訳ないけど、主語がどこにあるかが掴めなくて、どれだけ何が深刻なのか、どこまで何が対応出来ているのか(あるいは出来てないか)も不透明で、自分の中では曖昧な気持ちで処理していた。
が。流石に、まだどこかで、それなりに滅茶苦茶ながらも最低限の優先順位が偉い人には見えてると、私は信じたかったんだと思う。でも、どうやらそれは違うらしい。
地元京都の病院でクラスターが発生しているのは、ニュースで勿論知っていた。
が、その深刻度合いに対して行政や国の対応は、それなりに行き届いているんだと思い込んでいた。しかし現実には、病院が必死で独自に公式サイトで医療従事者の緊急を要する(毎日約300枚必要な)使い捨てガウンを、もう在庫が底を尽きそうなのでどうか、70リットルのゴミ袋と養生テープで皆さんに作って貰えませんか、と切に訴えておられ、それを後追いでようやく、地元紙が記事に出すに至るような状況である。
文句は、言わないようにする。人が何をしているのかを問うより、自分が何をするかを考えたいから。みんな人はそれぞれ、立場があり、環境も異なり、許されることと許されないことが違うから。正義も、誰かにとっては不正義も、それを問うてまとめるのも全体主義っぽくて私個人は苦手だ。
ただ、こんなことになってつくづく分かったのは、「困った時はお互い様」が出来るのも、双方のどちらかにある程度余裕がないと、出来ないんだ、と言う事。ので、何かとんでもない事が世界で同時に起こった時、流石に自国のことは自国で守れないと、いけないんじゃないか。と。いや、待ってくださいよ、守る、と言う意味を戦闘的な意味でまさか言ってるんじゃあ、ないですよ。
なぜなら、今回のウィルスのようなものを、仮に良からぬ組織が悪意を持って今後撒き散らしたとしたら、なんて簡単なことだろうと思う。足もつかず、たいした労力も使わず、そんな莫大な予算も使わず、確実に、じわじわと、効率よく真綿で全世界を、こんな風に首絞める事が出来るんだもの。
人の争いの歴史も、振り返ればよく分かる。素手から武器に。最初は言っても相手との接近戦でしか戦う事が出来なかった。お互いの命の奪い合いを感じる距離でもあった。そこから高度な武器が改良を重ね、相手の命の重みを奪うリアリティも感じる事無く、それらは進化を遂げた。で、登場したるはウィルスである。「これは戦争だ」「必ず勝つ」と言う論調を私は好まないが、このようなものが仮に武器にでもなったら、もう、これまでやたらにお金のかかった戦いの道具も、完全に全部、前時代のものになるだろう。かつての武器類や、戦いの歴史が、そう見えてしまうのと同じように。
で、あるならば、これらから守るのに必要なもの。今回で言えばマスクやガウンなんて、こんな最低限必要で緊急を要するものさえ他国生産任せで頼らなくてはならない脆弱さよ。島国ですよ。日本。世界の物流が止まったら、どうなるんだと。
お願いだから、防衛費として国産して、安定供給出来る量産体制をちゃんと築いて欲しい。
昨今悪しき流行りだった「自己責任論」も、自分の国の国民さえ守れてない立場の人にはまず、「自国責任論」は死守出来てますかと問いたくもなる。恐らくきっと、これまで膨大な予算で占めてきた武器の数々も前時代の遺物と化す筈で、もっと広い意味で必要な、災害対応や公衆衛生、本当に国民生活に役立つものを作り出せる設備投資に、これを教訓に本気でシフトしなきゃいけないんじゃないかと私は強く思う。
今日、取り急ぎ作った手作りガウンを、病院の方にお届けした。
受付の事務の若い女性は、恐らく日々の疲労で目が真っ赤に充血されて疲労困憊された姿だった。情けないほどの数しか出来なかった粗末なガウンなのに、充血した目に涙を浮かべておられた。私は決して、その姿を忘れない。
人海戦術甚だしい、馬鹿馬鹿しくて情けないくらい僅かな数しか出来ないけれど、誰かの命を奪うもんじゃ無く、誰か一人でも命を救うかもしれないものを、自分は作ってるんだ。
そう、思うことでせめて。前時代に巻き戻ししてないと、自分に言い聞かせたいと思う。
さあ。続けてまた作ろう。
#コロナなんかに負けない