「大丈夫。なんとかなる」と言ってくれる、一休さんに逢いたくて。


『有漏路(うろじ)より

無漏路(むろじ)へ帰る一休み

雨ふらばふれ 風ふかば吹け』

 

 まだ修行僧であった頃に詠んだ歌。作者であるあの「一休さん」こと、一休宗純の名前の由来はこの歌にあります。

 有漏路とは迷いと煩悩に満ちた現世であり、無漏路とは雑念のない悟りの世界、つまり極楽のこと。

 

 お寺の小さな看板には、現代語訳でこう、書かれていました。

「人生というのは、この世からあの世へと向かうほんの一休み。雨が降ろうが、風が吹こうが、気にしない気にしない」


 京都は南部に位置する京田辺市。玉露の里として知られるこの地に、室町時代を生きた一休さんが人生の後半から88歳で(マラリアにて)病没するまで過ごしたお寺、通称「一休寺」があります。

 

 「一休寺」の元の名は鎌倉時代に建てられた禅の道場「妙勝寺」。その後戦火によって長年荒れ果てたものを妙勝寺の宗祖から数えて六代の法孫に当たる一休禅師が、師恩に報いる心根を持って復興し、「報恩庵」と命名されました。

 81歳で大徳寺の住職(当時荒廃した大徳寺を復興させるべく)となられて以降も大徳寺には住まず、京田辺から京都市北区にある大徳寺まで通われたとの事で、今日、市内から車で辿り着いてもそこそこの距離がある所を思い描くに、一休さんの命や意思の強さというか、熱い思いのようなものを感じてやみませんが、一休寺はなんとも、華美や荘厳とはかけ離れた、心解される、静かで、柔らかで、美しいお寺です。

 

 後小松天皇あるいは足利義満の血を引くと言われる一休さん。その生い立ちが故に6歳でお母さんとも離れ離れになって仏門に入れられ、その後の逸話には権威や権力に靡かず、形式にとらわれず、人間味に溢れ、市井の人々に溶け込むように生きたが故に多くの人々に慕われ、愛されました。その生涯については、多くは後の江戸時代に語られ親しまれたそうですが、テレビアニメ「一休さん」によって育まれた我々世代にもそれは繋がっているのではないでしょうか。

 

 お寺の方丈及び方丈庭園を背に建つのが「宗純王廟」で、一休禅師のお墓です。墓所は宮内庁が御陵墓として管理されており、門扉には菊花の紋があります。ああここで、あの、頓知と破天荒の象徴、一休さんはやはり、たいへんなご身分の方だったのだと知るに至る訳です。

 

 今はまだ、なかなかに遠方の方には訪れる機会は難しいかもしれませんが、没後500年以上の時を経ても、この地でずうっと変わらず待っていてくれる一休さんですから、是非またいつか、平穏の中にも日々の忙殺に疲れが生じるような普段通りの日常に戻ったら、訪れてみてはいかがでしょう。

 わずかな高低差を巧みに生かした、訪ねる足にも優しい、場面転換も細やかで見事なお寺です。甘味や精進料理(お料理は要予約)、一休寺納豆も食せますよ。

 

 

※一休さんの生涯について、興味深い文章をあげておられた方があったので、リンクを貼っておきますね。ますます一休さんが、好きになる。
http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/haka-topic16.html