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息を抜いて入れる。東福寺散歩。

 

瞬発力と決断力。

終わりの見えない緊張感が続く案件の中にいる。

割り切りと妥協、その中のベストと忖度。

撮影して、作業して、納品しての繰り返し。

今と思った瞬間、マスクの息にファインダーが曇る。

あっと気づいた美しいものの中の違和感に、

アルコールボトルやパーテーションがある。

被写体に今だけとお願いする。

マスク、外してもらえませんか?

もう、こうなったら作為と無作為の比率も基準も訳が分からなくなる。

 

昨日今日と1日パソコンに向かって作業をしつつ

急ぎのメールに素早くレシーブ返ししていると、

やっぱり息が詰まってきた。

組織に属しつつリモートワークをする人たちと話をすると、

少なからず身の回りの大方は

「まさか自分が会社に行きたい、なんて思うなんて」と苦笑いされる。

そりゃそうだろう。

常にモニターで監視される中で向かう先は交流するには程遠いネット世界。

見ているつもりが、実は見られているだけの関係と設定。

仮にここがワンルームで、窓の外に緑も無く、

愛する猫たちの緩い邪魔も無かったとしたら、

想像するだけで苦しくなる。

誰もが、自分なりの息の抜き方を持っていないと。

これではいけない。

 

外に出て、近くの東福寺まで散歩。

この辺り、今じぶんのベストは夕方3時以降の西日が強くなる頃だ。

傾きかけた光が、あらゆる造形の輪郭を浮かび上がらせ、色彩を強く見せる。

数ある塔頭のひとつ「一華院」へと向かう。

 

こんな気分の日は明確に、静かな場所、美しいもの、正しいもの、あるべき形に触れたい。

なんとなく間違っている事や、自分の意思に背いて折り合いをつける事、

明らかに違う事を判断しつつ呑まなければならない事もある。

自分だけの世界じゃ無い。それは分かってる。

でも、それらの絶対量が多くなって、溢れて溺れそうになると息が出来なくなるんだ。

時には揺るぎない絶対的な、単なる自身の範疇だけでは無い、

美、というものの中に身を委ねたい。

 

庭園の向こうに、鳥のさえずりを聴いた。

昨日のテレビでベートーベンを解説した番組があった。

聴力を失いつつある名作曲家は、どうやって今はもう聞こえない筈の万物の音を

楽曲の中で再現したのだろうと。

それはかつて聞いたそれら記憶の再現と、

失いたく無い壮絶な恐怖との戦いだったのではないか。

見えるもの、聞こえるもの、触れるもの。

私も心の中にはっきりと捉えて、

それらの本質と要素を記憶していたいんだと思う。


谷口菜穂子写真事務所
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