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緊張と緩和の、大徳寺。

 久しぶりに、大徳寺まで。
 以前この近くの鷹峯に住んでいた頃は時々散歩したりしたが、その頃は塔頭まで入ることも無かった。境内のあちこちにある建屋や石畳などの意匠だけでも十分に面白く感じて、時に日が西に傾いた頃の光の具合が絶妙で、ゲリラ的にヘアメイクの友達やモデルと、粋がった着物姿の作品撮りなどしたものだ。もう、15年以上前のこと。その頃は京都の方々で見るようなコスプレ撮影なんかも誰もしてなかったし、なんちゃって舞妓姿も、その散歩写真撮影もしてなかった。だから逆に、眉も潜められるような事も無かった。
 しかし振り返ればまだやっぱり、自分も若かったんだなあと思う。そして表面つらだけで楽しむ事も出来た。しかし今はもっと、核心に恐る恐るでも近づいてみたい。
 さて。大徳寺は言わずものがな茶の湯の世界と大変縁深く、そしてあの一休さんにゆかりのあるお寺だ。大変大きな境内だが、訪れる人も今はまばら。いくつもの塔頭がある中で、普段から公開しているのはそのうちの4つほど。良いお天気だったので、4つとも回ってみたいと思ってやってきた。
 さすが、誰が来ずとも見てずとも、全ての形が理路整然、と言うか、あるべくしてあり、またそうあるべきように整えられている。
 


 まずはうちの近所の東福寺にもゆかりの、重森三玲が作庭した庭がある塔頭の一つ、「瑞峯院」へ。

 つくづく思うに、今風に言えば(と言うかそんな表現しか陳腐にも浮かばないが)重森三玲の庭は、とてもエモーショナル、「エモい」んだと感じる。大海の荒波。静かな凪。それらは決して静止していない。と同時にとてつもなく静かでもある。あんまり一気にたくさん見てしまうと、心が飛んでしまいそうで、怖い。


 瑞峯院を出て、大徳寺の仏殿そばの古木「イブキ」がとても清々しい香りを放っていた。

 なんて気持ち良い事だ。そのまま、ゆっくり進んで次は塔頭の「大仙院」へ。
 受付で「写真撮影は禁止していますのでカメラは預かります」と言われ、そのまま中へ。はい、写真になんか撮らなくても、もう心は十分整えています、と静々中へ入ったら。そこには現代の一休さんがおられた。
 まさかの不意打ち。

 こちらの住職。

 とにかく人が好きらしくてまるでイタリア人男性のように参詣者を捕まえては、面白おかしい事ばかり話しかけてくる。多分、みんなに言うことは同じなんだろうけれど、私もまんまと住職に引っかかった。「私、独り身なんでね。あなた、ご主人失くされたら、どうぞ私をセカンドハズバンドに」と言われたので、「本当ですか?!では住職、どうぞそれまで長生きしててくださいね」と返しておいた。
 曰く、「私、こんな事ばっかり言ってるの。本当困ったもんでしょ。そう。うちのお寺の名前はね、困ってら(寺)焦ってら(寺)いじけてら(寺)っていうの。そして、私の心は枯山水」。

 もう。ぶっと吹き出してしまった。そんな事言われたら終わり。もう何も入ってこない。笑

 と、言う訳で緊張と緩和の落差にすっかりやられて、あと二つあるはずの塔頭巡りも次回へ回す事にした。
 ちなみに、こちらのお寺の枯山水は、「美空ひばりの最後の歌にあったでしょ。あれと同じでね。人生波あり谷あり静けさありでね。それを表現してるの」と。

 奥が、深いには深い。というかかなり深い。
 ので、そんな焦ってなんでも早回しにして生きる事も無いなと、オチにもならない落ちで、また必ずと大徳寺を後にした。

 


谷口菜穂子写真事務所
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