滋賀県は五個荘出身、「スキー毛糸」で知られる国内化学繊維市場の礎を築いたパイオニアの一人にして豪商の藤井彦四郎。
出身地である近江商人の街並みで名高い五個荘にある旧邸は拝見したことがあるけれど、京都にもその邸宅が存在した事をこの度、大変遅ればせながらSNSで初めて知った。(ちなみに、ここからそう遠く無い岡崎エリアは疏水沿い、仁王門通に面した異彩を放つ建物、武田五一設計の、屋上に中国の八角堂がある「有鄰館」と、その奥にあるルネッサンス風木造建築によって構成されている私立美術館は、彦四郎の兄で同じく実業家・政治家の藤井善助のコレクションを保存展示するために設立されたものである。恐らく、京都の人だったら誰もが一度は目にした事がある特徴的な建物だが、開館日も月に二回ほどと限られていて全貌は幻にして謎のまま、と言う人が多いんじゃ無いだろうか。私も同じくである。)
大正15年に左京区の鹿ヶ谷エリアの大文字山裾に土地を取得し、昭和初期にかけて築いたとされる「何事にも偏らず公平に」との意味を込めた「和中庵」と命名した屋敷群。その後は戦後間もない昭和23年の暮れ近く、アメリカから教育活動のために来日したノートルダム教育修道女会によって修道院となり、ノートルダム女学院がこの地に設立された。
その間、旧邸を修道院として活用されるにあたり改修された箇所も多かったそうだが、2008年に修道院としての役割を終えると老朽化による全面解体方針から反対の声に一転して保存活用される事になり(残念ながら日常生活の場であった二階建の主屋は老朽化が甚だしく解体されたそうだ)、大規模改修を終えて今は学校施設として、普段は非公開だが時々、一般にも公開されるそうだ。
この建物群の最大の魅力はその立地が故にあって、高低差のある山裾を巧みに利用している点だろう。敷地に面した洋館は実に簡素な造りの外観に見えて(実際には現存しない主屋がこの洋館手前に一体されていたそうなので独自の玄関は存在しない)、内部は重厚な意匠が施され、また細かな所に和の趣がみて取れる。五個荘にある古い主屋と和洋折衷の迎賓館で構成された藤井彦四郎の邸宅に見られるように、客人をもてなす豪華な客殿に対比して質素倹約を重んじた近江商人の気質をやはりこちらでも体現しているのだろうか。ちなみに、こちら京都の「和中庵」が当時は実際の生活拠点であり、五個荘の屋敷群は故郷の本邸という扱いだったそうだ。
さて、この洋館の向かって右脇には傾斜地の洋館から下に繋がる階段の渡り廊下があって、その先は茶室が繋がっている(今回は非公開だった)。また、洋館の2階とその奥の傾斜地にある日本家屋の客殿1階部分は吹きさらしの渡り廊下で繋がっている。これら、渡り廊下の存在はまるで、洋と和の時空を行ったり来たりする心地になり、背後の自然と、コンコンと流れる山の水音が全体を違和感無く包み込んでくれる、と言った感じ。
どうやら、あたりの秋の紅葉時期にはまた素晴らしい色彩を添えるようだが、恐らく、かつての主人がおられた頃にはきっと、庭の手入れも余念なく見事だったろう。そして屋敷群の窓からはそれぞれに異なる景色が広がり、さぞ美しい季節の移ろいを日々に感じる事が出来たろう。
そんな魅力あふれる建物群だが、ほんの時々だけ特別に公開されていて、今回はこの建屋内にて立体作家のお二人による展覧会が催されているとの事にて、幸運にも訪ねる事が出来た。
学校発信の「和中庵」公式サイトでも企画展や一般公開の日はアーカイブを見ても相当に限られていて、建屋の利活用が学校側の設備利用として実際どれだけ成されているかは不明だけれど、学校敷地内というハードルもあろうが、今後将来に渡る維持管理の面を考えてもなんと言うか、実に惜しくも思う。
会場におられた作家さんお二人は京都の美大出身だそうだがやはり私同様この建物の存在を今回初めて知られたそうで、「来られる皆さんも、自分たちの作品を見に来た、と言うよりこの(普段非公開の)建物が見られる!と言うのをSNSで知られて、建物を見に来る事を目的に来られる方が多いです」と、微笑んでおられた。
いやはや。私もそんな人たちのうちの一人。こんなに個性のある空間の中で作品を展示すると言うのは、とても羨ましくもあり、また非常に難しくもあり、仮にやるとなったらコンセプトも展示方法も随分計算しなきゃ、ならないだろうなあ。。。と、心の中で正直思った。
残されたものと言うのは、動かし難い、大きなものであればあるほど維持管理もそうだが、それだけをそのままで冷凍保存のようにして伝える以外に、活用し、過去と未来を調和させた上で多くの人に認知され、また喜んでもらえるようにするには、と、人事を自分事に置き換えて想像すれば、相当難しいものだと言うのは割と見えやすい。が、ただ無くして新しいものを単に作り上げてしまうより、引き継がれた歴史がベースにあって、調和への挑戦を図る方がやっぱり個人的にはワクワクするし、時間の堆積の上で命をつなげてきた我々として自然だし、ずっとずっと、興味深くも思う。
何を重視し、何に軸を置いて、どう大切とするか。かつ、何をどう、未来に向かって表現するか。
元の持ち主や愛を持って育てた人に、今や尋ねる事も出来ない思いを想像する。それだけでも随分、創造の格となり未来へ繋ぐ源流にだってなる。
近江商人の邸宅から始まり、戦後、学校設立の歴史を刻んだ物語が語れる建物とその環境。どうぞこれからも、その語り部が大事にされ、また未来に渡って多くの人に愛される場となりますように。