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職住一体の邸宅と庭園。並河靖之七宝記念館。


 皆さん七宝と言うと、どんなイメージが湧きますか?

 私はこれまで七宝と言うとそんな大作(作品の大きさという意味で無く)をこれまで見た事が無くて、せいぜいお土産屋の小箱に入ったブローチやネックレスなどの小物で、単純にそれらが(主にはテーマになっている柄と色目が)好みか好みで無いか、七宝本体以外のデザインに振り回されて結果あまり関心が持てずに今に至っていました。

 

 岡崎に「並河靖之七宝記念館」なるものがあると興味が湧いたのは、それは庭園が京都岡崎界隈の作庭などで有名な7代目・小川治兵衛によるものだ、と知った事(岡崎界隈の小川治兵衛作庭の庭はいくつもあれど、個人や企業所有がほとんどで一般に見られるのは極々限られている)、そして職住一体の邸宅であるというので以前訪ねた京都は五条エリアにある「河井寛次郎記念館」の様に、今や主人は居らずとも漂う空気感など、共通した何か、惹かれるものがあるのではないかと思ったからです。

 故に、七宝と言うものが一体どういうものか、どんな(気が遠くなる様な)工程を経て作られているものなのかを含め、諸々、今にして初めて知るに至りました。

 明治から大正期に活躍した七宝家・並河靖之という人は、元はこの自邸から程近い天台宗門跡青蓮院の坊官であり、幕末維新には久邇宮朝彦親王の近侍をつとめ、その宮仕えの最中に七宝と出会い、七宝作家・七宝業を営んだそうです。

 こうした経歴はその作品のモチーフ、色使いや緻密さに現れ、気高くして控えめ、華美と言うよりも清楚、その奥に奥に、果てしない技術の修練の結実を仕舞い込んだ様な、拙い表現で恐縮ですがそんな風に私は感じました。仮に単なる絵付けだとしても究極に細かな描写、これがしかも有線七宝によるものだなんて。。。

 七宝の愛好家は、これらの完成品をルーペで愛でるのが醍醐味であると、谷啓さんがやってた頃のNHKアーカイブ「美の壷」で語られていました。要するに、眼では見えないほどの小さな世界に宿る美の領域なんですね。

 そんな並河靖之の七宝は当時海外では七宝と言えば「Namikawa」と高く評価され、国際博などで何度も受賞し、国内ではほとんどその作品を見る事が無く、残念ながらその多くは海外に流出しているとの事。こちらの記念館で展示されているのは初期作と言われていますが、元邸宅にして工房でもあった作品の生誕地であるがこそ、製作に関わる下画なども展示されており、その作品の源流や手がかりの様なものも掌握する事が出来ます。

 

 あまりにも奥深い七宝の世界。恥ずかしながらこの歳になって驚きと感動に胸を打たれ、まだまだ知らない世界がたくさんあることに焦りと、ある意味では何らかを見て触れて感動出来るものがまだまだたくさんこの世の中にはあるのだ(しかもほんの近くに)と言う希望とで心がとても混乱しました。

 そんな中で、展示品や空間内は撮影する事が出来ませんでしたので庭園の写真を。

 

 明治建築である客間に座り、なんと奇跡の隣家同士、そのご縁で庭造りに至ったと言う7代目小川治兵衛の庭を眺めました。当時30代半ばだったと言う小川治兵衛がその後に続くこの辺り界隈の作庭において、庭園に琵琶湖疎水の水を引き入れると言う代表的作例による、初めてのものだったそうです。ちなみに、代表作である山縣有朋の別荘・無鄰菴の庭園は、この2年後との事。

 水面の反射が庇に写って眩く、きっと鳥たちも蝶たちも集う庭園。どんなに、その光景が作品に反映されたか、何より、主人の心の平安を整えたでしょうか。そして客間に招かれた諸外国の客人らに、池泉との浮遊感に驚きと感動を与えたでしょうか。

 素人の私が勝手ながら捉えている、重森三玲の作庭表現とは対局である(と感じる)小川治兵衛の庭。自然よりも自然の中に居る様な心地になって、優しい。

 

 開け放たれた小さな楽園と小さく濃密な七宝の世界。

 お近くに来られたら是非、皆さんも堪能してみてはいかがでしょうか。

谷口菜穂子写真事務所
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