新たな年を迎えました。
これから進む時間が皆様にとって、幸せに満ちた、新たな思い出の積み重ねとなりますように。
今年のおせちは久しぶりに、以前随分痛んで割れたのを治して頂いて後、暫く仕舞ってたお重に詰めてみました。
物心ついた頃から少なからず確実に家にあったお重です。
治してもらう時の見積もりの際、塗り師の方からは、恐らく昭和3〜40年代頃のあらゆるものが大量生産化され始めた時代のお重で、まあ今時の樹脂木地では無いけれど。。。との話でした。けれど、大事な思い出は費用対効果や効率とは決して天秤に掛けられないと考え、えいやと治してもらいました。
今年はまだ1年の喪が明けてませんので、祝いを印す食材は極力控えて素朴な内容にしましたが、昭和のほっこりした庶民のお重がしっくりきます。作らない選択もあったのかもですが、自分の場合は食べるよりも作るプロセスにとても意味があって、親の教えを思い出したり、記憶にあるお正月をあれこれ遡って振り返ったり、押し付けで食べてくれる人達の好みを想像したり、本音は面倒がってる気持ちと無駄に独りよがりで戦ったりと、殆ど修行、殆ど宗教です(苦笑)。
今回初めて気がついた事と言えば、同じ丹波産の同じ問屋で買ったものを、毎年同じ工程で炊いた筈の黒豆が、いつもと違う控えめなふっくらジューシーさだった事。年末の丹波市でのイベントの際、地元の子から「丹波黒豆がすごい不作だった」と聞いてたんですが、見た目に変わらず炊くとそれが分かった、という事でした。
遠目では毎度変わらないなんでもなさそうな事でも、粘って繰り返してみる事で、何かが見える1年にしようと思います。
とは言え、あらゆる変化に対応できるよう、柔軟に、意志を持って明るい心が保てるように。
本年もどうぞ、よろしくお願い申し上げます。