9月20日から11月16日まで開催されている「国際芸術祭BIWAKOビエンナーレ2025」へ。
国内の芸術祭ブームの発端とも言われる越後妻有アートトリエンナーレ開催の翌年、2001年から始まり今年でなんと11回目の25年目。仕事に、観光に、買い物に、何度も訪れた事のある近江八幡だが、遅ればせながら今回初めて、芸術祭が行われる街として観に行った。期間中3度訪れ、あと1日は最終日までに行く予定だが、ここまでの感想を一言で言うなら、アートを通してこの街が一層素晴らしく、美しく見えた、である。
これまで思いもしなかったが、あれ程観光客で賑わう(例えば水郷巡りも出来る、という比較として)岡山の倉敷よりも旧市街の古い街並みの規模感で言うと今更ながら体感的にずっと大きく(強いて無いものを挙げれば美術館か)、空き家問題はここでも潜在的には深刻化されているそうだが、観光と、地域住民が実際に暮らす街として静かに成立しており何せ無理が無い。そんな街で芸術祭を行えば、どこまでがアートで、どこまでが普段なのか、その境界線が良い意味とても曖昧だ。それは、以下の写真群で体感して貰えば、言ってることが少し分かってもらえるかもしれない(ので、あえて写真を会場毎にファイリングせず、またアート作品の紹介という体の写真にはせず、ないまぜにして街歩きのまま写真を羅列してみることにした)。
このびわ湖ビエンナーレが、昨今数多ある芸術祭の中でも一線を画すとされる理由に、
「芸術祭が日本にあふれ、差別化が求められるなかで、多くは登場人物(共催や協賛社、助成金といった外的関与者を含む)を増やし、規模や数を大きくしてきた。その結果、来場者数や交流人口の増加など、様々な「目的」を背負わされている。ごく少数の人の想いに突き動かされて日本にインストールされた芸術祭の「原型」を、BIWAKOビエンナーレで見てほしい。(引用ー美術手帖2018年記事)」
と評される所だろう。
「背負わされる」のと「自らの信念のもとで背負う」のは明確に違うし、「それっぽく(なんとなく)」と「明確に」も明らかに違う。
創設されたのは滋賀県が地元の、たった一人の女性により興された事で、長い年月をかけて、粘り強く、ブレずに実行に移され、周囲の賛同や協力を丁寧に得られてきたのだろう事が、街の中に馴染む展示の光景にそっと観てとれた。公式ホームページの概要の一文には「「空き家や古民家を会場として活用することで、古き良き建物の魅力を再発見し、後世につないでいくため『地域再生』も目的のひとつ。長年放置されている日本家屋を、地元住民や日本全国から集まる有志たちで清掃することから始めています。」と書かれている。この思いを明文化される事こそ、この芸術祭の核心を成しているのではないか。
そう遠くない所に、年間300万人が来場するというラ・コリーナ近江八幡があり、またこの旧市街にはヴォーリズ建築が20軒以上現存しており、コアなヴォーリズファンが個人で、あるいは団体でやってくる。また、一大産地である近江牛の名店も揃い、グルメファンも全国から集まってくる。
それぞれ、個別に好きな人たちがもう少しづつ、各々の関心の幅を拡張したとしたら、多分この街の未来はずっと明るいだろう。その拡張のきっかけとしての芸術祭。普段は入ることの出来ない家々に入ってみれたり、来場者同士が作品を通して何かおしゃべりしたり。そんな風に、各会場を制覇してみたい欲求を突き動かされ、歩みを進めさせるアートの扉は実に大きな間口だ。そしてその足取りや解釈を誘うアートの繋ぐ糸は、しなやかで柔軟でもある。
そんな、よその人間が街や人と関わる、あるいは、何よりも見慣れた地元の人間が今一度誇らしく我が街を振り返る交差点としての存在のあり様を、改めて考えさせられた。
加えて、頑張っておられながらも結果と目標が伴わないで知らずに(外的要因以外の問題で)消滅する事も多数ある、昨今全国各地の町おこし芸術祭を企画する側としても、我が身、あるいは我が街に何が足りていて何が足りていないか。よく読み込めばここで起こって居る事は素晴らしい教材になるかもしれない。
さて。平面を行き来する市街地を1、5日かけてぐるっと巡って、また別日に、これも初めて芸術祭きっかけで、今度は垂直に登るが如く「長命寺」を訪れてみた。
こちらのお寺は、大阪で暮らす健脚自慢だった叔母夫婦が時々訪れたお寺で、叔母は晩年「叔父さんは最近、足が悪くなったから上の駐車場まで車で行って、私は下から登るのよ」と、言っていたのを思い出す。
近江八幡の北西端にあり、琵琶湖に面した長命寺山(333m)の標高約250mの山腹にある西国三十三カ所第31番札所だ。
「八千年や柳に長き命寺、運ぶ歩みのかざしなるらん」という詠歌のとおり、「寿命長遠」の御利益があるとされてるが、あんなに最晩年まで健康自慢でお寺巡りしていた叔母さんは、病気で亡くなった叔父さんの翌年に癌が見つかり後を追うように亡くなってしまった。
改めて、健脚自慢とは程遠い私は、勿論で駐車場までなかなかの難所を車で上がったが、それでもそこから境内までの急勾配の百段ほどの石段でもまあまあ息が切れた(ちなみに、下から登れば千段程の石段だそう)。が、その先の、あまり見かけない渋いトーンの朱色の三重塔(重要文化財指定)などとても美しく、それぞれの建造物も山間に建てられており実に立体的で、こじんまりとした境内だが素晴らしいお寺だった。もう会えない叔父叔母夫婦の観た景色と同化し、心がなんとも和んだ。良い音で鐘をついて眼下の琵琶湖に響かせ、今年亡くなった、これまた健脚健康自慢には程遠かった母親と、3本のお線香をあげて手を合わせた。
さあ。次は会期中までに、日本で唯一淡水湖の湖上の有人島である「沖島」に行こう。が、ひとまず、この芸術祭がとても素晴らしいので、会期中に、誰かまた関心のある人が訪れるきっかけになったら、、、と思い、ブログにまとめてみた次第である。






















































































