お節料理。
日本の伝統的な祈りや願いを込めて作られる、季節の節目に神様への収穫物を供える「御節供」と言う風習が語源だそうだ。もはや農耕民族とは言えない、全人口に占める農業従事者僅か1.1%外の私はこの時期になると要するに加工業者。辛うじてそもそもの大枠の意味に引っ掛かり、更に拡大解釈して「願い」と言うより「祈り」の行為に近く、年末になるとむっつりし出してタイムスケジュールを組んで冷蔵庫に貼り出し、過去の記憶と対峙しながら台所に立つ。その間、目の前に食べ物がありながら味見にヘタと、インスタントな食事でやり過ごす。
本来ならばこの2月末まで私は喪中なので「願い」や「祝い」に添った食材も料理も避けるべきそうだが、私にとって年末のしめ縄作りに始まり、特に御節作りは過去性が強く、ある意味ではかなり後ろ向きな行為。だからいいじゃないか。と言うわけで、これまでも何はともあれ御節作りを欠かすことは無かった。
黒豆ひとつを例に挙げたとて、どれだけ大好きでもまず1年に一回しか炊く事も無い。となれば、一体後何回、生涯炊くことがあるだろう。何回?何十回?そう思うと、人の命なんて儚いなあって思う。
過去に何度かお正月ブログで触れてきたが、子供の頃は父親がずっと御節作りを毎年担っていた。と言うか、1年のうち美味しいものをみんなで囲むような、例えば家族の誕生日とか、クリスマスとか、何か特別な機会には毎回父親が腕を振るった。実母は料理が全く出来ない人で、続いて義母も得意とは言い難く、だが共に、女親たるもの家事上手であるのが当たり前とされた前時代デフォルトの中で、今なら「出来ない」「やらない」と胸を張って言えたろうに言えないジレンマに自らも囚われた、思えば気の毒な母親たちだった。そして今の世なら(家事全般が全てソツ無くこなせるフェミ男な)父親も、得意な者がやれば良いと自然に家の事全部をサラッとやりたいだけやれたろうに、遠慮がちに、特別な時だけ台所を貸してもらって料理する、と言うぎこちない家庭生活のローテーションで回っていた。
母親らはお財布に合わない食材を買ってはご馳走を作る父に嫌味を言い、兄と私は本当ならば手放しで父親の料理を「美味しい!」と褒めたいところを、家族バランスが壊れるのでなるべく言わない努力をし、と言う歪さすら今や懐かしく感じる思い出。
その後、父親が晴れてやもめになって以降はエンゲル係数なんて全く気にせず美味しいものを盛大に作って食べ、私も10代終わり頃からは毎年父親とおせちを作った。なんというか、そのころの我が家はサガンの「悲しみよこんにちは」に一定のシンパシーを感じる。
大晦日の31日には誰に頼まれているわけでも無いのにヘトヘトになりながら御節を作り上げてお重に詰めて、車に乗せて父の友達、私の友達の家、当時10何軒と除夜の鐘の鳴るギリギリの頃に押し付けに行く。「まるでかさこ地蔵やね」と言いながら、お正月にはもう料理も見飽きてほとんど手を付けず、兄たちと散々酒の瓶を空けてベロベロになって三が日は過ぎた。
父のお通夜では、この様な父親のおしつけ料理(御節以外にも鯖寿司や漬物類など季節の料理の数々も加わり)の思い出話を弔問の人たちが口々に語ってくれた。「ああもうあれが食べられへんのか」「菜穂ちゃんあの作り方教わったか?」ともみんなに悔やまれた。自身の友達は勿論、私の友達にまで(私を飛ばして)勝手に送り届けたりもしてたものだから、なんだかんだ、生前は6、70年代のリベラル色濃い京都の労働運動盛んな頃の闘志だったりしたはずなのに、そんな思想やら活動やらの話は何処へやら、結局は人柄沁みる手料理の話で盛り上がるなんて。そうか、ここに集う人たちみんな、同じ釜の飯を食べた人たちなんだ、そんな風に死んだ後に私も言ってもらえたらいいなあなんて、食べ物の話は実に平和、社会の平和を祈念し続けた者らしい最後の話題提供として、食べ物にまつわる思い出話ばかり、賑やかで楽しい雰囲気に包まれたお通夜を見渡しながら、思ったりもした。
という訳で、私はというと全然、父親の足元にも及ばないが、せめて雲の上に向けて1年の最後くらい、細々なんとか続けてるよと伝えたい気持ちというか、痛いこと、切ないこと、嬉しいこと、過去の思い出の全てを準えるべく、一年の終わりの御節作りは欠かせない時間の過ごし方でもある。
これまでも、その時々に身近な人たちとのフェーズに合わせてお裾分けを持って行ったり、家で一緒に食べたりしてきたが、このような状況は(特にもう実家も親も、子供も居ない私のような場合)毎年流動的で、誰かが必ずずっと未来永劫側に居てくれるという保証なんて絶対にあり得ないのが人生だと、お節作りを通して悟り切った。だから例えば何か、逆に私の方でアクシデント的に作れない事情があったとしても、「今年は無いんだよ」「ああそうなの」で済まされる位、みんなにとっては大した存在でなく、待ち構える人のあるなしに関わらず、要は誰かのために頑張る、誰かを想って作る、なんて重たいものよりも、まずは自分の心を整えるための年末最後の儀式、のようなものと言う捉え方が、私にとっては持続可能な行為になるのかなあと、思ったりもする。
そしてそれが結果としておまけレベルにほんの少し、同じ食べ物を目の前、あるいは遠く離れていても一緒に食べる幸せが共有出来たらやっぱり、嬉しいなあ。とも。
だって、共に心も身体も健康で、生きていればこそだもの。同じものが食べられるなんて。それを介してみんなが笑顔になれるなら。これほど有り難く幸せなことって無いんじゃないかな。って。
2026年版御節。献立ひと工夫マイナーチェンジ備忘録
・数の子のマリネーこれまでで一番、個人的には実は大して好物でもない数の子が美味しく食せた一品になった。レモン汁とオリーブオイルを効かせ、パプリカと玉ねぎの甘みの調和した数の子(下味は通常通り)。
・柚子風味の栗きんとんー甘いだけでぼんやりするきんとんに柚子ジャムを加えて爽やかに。
・鰤の南蛮漬けー日が経つとイマイチな鰤を南蛮漬けにするとずっと美味しかった。
・たたきごぼうー胡麻の替わりに煎って砕いたくるみで和えて。いっそ甘辛くカラメル状にしてもよかったかも。
・焼豚ー甜麺醤とコチュジャンで甘辛に煮絡める。
・蓮根ー下味をつけた蓮根を揚げて塩胡椒と粒マスタードで。これはやっぱり、揚げたてが一番かな。
・黒豆ー残念ながら毎度の丹波の黒豆の2Lサイズがいつものお店で入手出来なかったのが少し残念。来年はまたあの葡萄のような豆をゲットしてリベンジ。
・柚子とりんごのパウンドケーキー伊達巻がアリなら、いっそのこといつまでもしっとりが保てる焼き菓子だってアリなんじゃないかと役者を変えてみた。去年末にこれまでで一番上手いバランスの割合に焼けたパウンドケーキの再登場で。
前年の大晦日と同様に、不覚にも1時間ほど寝落ちして東福寺の除夜の鐘を聞くことならず。煩悩を払い落とすことなく新年を迎えてしまった。
元日の夕方に、初打ちをしている兄行きつけのパチンコ屋に御節のお裾分けを届け、2日に金沢のおツレの実家で、おツレ家族とお正月料理を囲んだ。前振りの雪予報に車で向かうのを諦め今回は電車で向かった。普段ほぼ車移動に慣れているので、改めて、駅の混雑ぶりには地方の実家へ帰る人たちのなかなかな体力、精神力、気苦労を思う。
出発の京都はピーカンの晴れで、それが一転して敦賀あたりはすっかり雪国。僅か2時間程度で景色が全く違うのにも改めて驚く。
金沢にはあえて海産類を抜いて縮小版御節を持って行ったが、おツレの甥っ子や姪っ子は肉類を喜んで食べてくれる。海の幸に飢えた我々は魚ばかりを食べて喜び、肉っ気に乏しい海側の子たちは肉を喜ぶ。「これからは肉系ばっかり作ってくるよ」と言うとニンマリ笑う。
翌朝。近所を散策し、モノクロームな雪国の風景を楽しみながら、靴の指先が濡れて冷たくなった。履き替えの靴下を余分に持ってきて良かったなあって思いつつ、まだまだ雪国暮らしには素人で、修行が必要だなあって思い、帰路に着いた。






