京都大学百周年記念ホールにて上映された、8年間の大学側と寮生による京大学生寮「吉田寮」の存続についての対話(あるいは対立)の記録映画「対話のゆくえ」と、その後の監督や元・現寮生、大学の先生らによるパネルディスカッションを見に行ってきました。
建築という側面だけを取れば、現存する日本最古の学生寮であり、1913年から年月を経て老朽化し、存続の是非を問うている、という文脈で済む(解体推進側としては公に理解させるにはこの文脈だけで是非を問う方がよりシンプル)ですが、6、70年代という学生運動の牙城と見なされた拠点を全国規模で排除すべく時代を経て、学生の自治どころか、大学の自治もままならない昨今にあって、恐らくは国内でも最後の、残された学生の自治が揺さぶられているという難しい問題に現代の若者たちが過去も未来も背負って立つという、それらが地道に記録された映画であったと感じています。
京都大学のキャンパスが広がる京都市左京区というエリアは、京大生では無くとも大学を中心とした文化の成り立ちからその周辺住民はなんだか自分もなんちゃって京大通というか、切っても切れないような心の縁があり、私も小、中、高とこの辺りに親しみ、その後市内の何処に引っ越そうともアイデンティティの源を感じてやみません。
また、通っていた高校校舎(昭和初期の元女学校校舎)が突然全面解体と発表された時、その歴史を紐解き耐震問題の解決の糸口については、京大の先生方やその元学生の方らにも大変お力添えを頂きました。そのご恩というかご縁というか、保存活用運動と並行して、どうやら吉田寮も危ないらしいと、今度は寮生の人たちと情報交換したのももう10年以上前の事。映画にはその際にお話しした寮生も数人登場していて、ああ、その後もこんなに、長きに渡って頑張られたんだなあとちょっと、何度も目頭が熱くなりました。
映画の中で寮生が語った言葉で印象的なものをひとつ。
それは浪人中のオープンキャンパスで吉田寮を訪れた際に、「(失敗が許されない世の中にあって)ここは失敗が許される場所だと感じた」んだそうです。
レトロやノスタルジーを越えた学生寮。それをネガティブに捉えるのは簡単ですが、長年の学生たちの拠り所を守ろうとする若者たちの、その思いだって大切にして欲しい。
ある種、対立的な映画の上映をあえて、大学の最も中心部であるホールで開催されたのも、それを(恐らくそう簡単では無かったでしょうけれども)許可された大学側にも、互いにどう思いたいか、あるいは思われたいのかの一歩なのだと理解しました。そして思っていたよりも桁違いに多い来場者にも驚き、長年に渡る地道な活動を諦めずに継続されたからこそのこの光景であるとも感動しました。
関わられた全ての皆さんへ。
あるものが失われる事への耐性が極めて無い一人の人間として、心からエールを贈りたいと思います。
