写真展「das Zenturum」によせて。

昭和初期から20世紀末まで稼働し続け、今世紀に入って全面解体されたセメント工場。
現在はありふれた国道沿いの街と姿を変えてしまったそれ以前、在りし日の姿を振り返る写真展です。
工場が稼働を終えて約10年。すり替わってしまった現在の光景がようやく馴染みつつある10年。稼働停止した1996年から2016年というちょうど20年の節目に開催する写真展は、しかしながら意図したものでは無く、無くしたものを再構築する必然性を確認するのに、思った以上の時間がかかってしまった結果によるものです。

極めて個人的な繋がりですが、1996年と言えば、この光景が脇に広がる国道の延長線を更に進み、県境の山中にある鉱山採掘場跡地を何度も通って記録していた頃です。自宅にあった戦前発行の古い独和辞書より拾った、「物質的」「美死」という意味の言葉の欠片をドイツ語のタイトルとし、翌年には初めての写真展を開催しました。
その頃より、車窓の向こうから幾度もこの光景を感じながら、留め置くように傍観していたのです。

いよいよ解体されるのでは無いかという危機感を持って初めてこの地に立ち入った際の感覚は、大きく引き延ばした写真の前に立つ現在の感覚とあまり違いはありません。勿論、写真の画角にはとうてい表現出来ない程の圧倒的スケールではありましたが、ともあれ人間のサイズ感などとうに越えて、壊す事が容易で無いものを、なんと人間は造ってしまったんだという途方も無い気持ちに加え、服従心を煽るような格好の良さに身震いし、自分という個体である主観が、ほとんど覆い消されてしまうような、そんな感覚に陥りました。
前述の鉱山採掘場跡地はと言うと、閉山されたのは1965年であり、既に30年程が経過していましたからその空気感はほぼ、人里離れた山間にふと現れる遺跡に近いものがありました。山の谷間に差す強い西日と割れ目から沁み出る湧き水、冷たい風や豪雪を繰り返し受けて、建物を覆うコンクリートは砂利を覗かせ、鉄筋も浮き上がり、屋根という屋根はほぼ落ちて壁と骨格のみが残った状態で、全盛期はいたって直角的であったと想像されるものが、どこか球体を感じさせるというか、勢いよく成長し続ける辺りの草木にそのうち凌駕されそうな、まさに遺跡然とした独特の調和が見られました。
それらと比較するにこのセメント工場はと言うと、国道向こうの完全なる異端であり、極めて挑戦的な空気感を放つ孤高の存在でした。そしてあまりにもリアルに、稼働中であった頃に居た筈の多くの人間の存在だけがこつ然と消えたような、今もって戦闘態勢にありながら、音や動きを失った静止状態の世界として、相当面積に渡り広がっていたのです。いや。そう言えばほんの時々、国道向こうの結婚式場から鳴り響く鐘の音だけが、道路を渡って構内のコンクリートや鉄骨に砕け、まるで乱反射するかのように響き渡っていました。
あれほど絶望的で、完敗した時の虚脱感のようなものに見舞われるのも、隣接した外側とは次元が全く異なる世界を体感出来るのも、そうある事では無いでしょう。

近代化を加速した戦前。そして戦後の復興と経済成長に応じ、ひたすら稼働し、また増幅した存在。多くを破壊し、また新たを築き上げる事に加担した存在。それらは私が生まれるよりずっと以前から始まっており、その意味も目標も、実際には過ぎた過去の歴史と照らし合わせて必然であったと括るのみで、その実、直接的に関わりの無い瞬間毎の出来事には、想像以外に必然性を感じる事は出来ません。
ですから私はそれが在った事、終わった事、そして消えてしまった事について、否とする事も、あるいは然りとする事も出来ずに居ました。そして今やその存在自体も消えて、ファストファッションや大型家電店などのショッピングセンターや住宅街に成り代わった事は、例えばドイツの高名な哲学者の言う所の、これまで、そしてこれからも続く円環運動の僅かな事象でしか、実際の所言い極めれば無いのかもしれません。
しかしながらその運動サイクルが繰り返される中でひたすら、もう既に多過ぎて余り在るにも関わらず目の前に増え続ける現象を傍観しながら、それらの中に埋もれて意味も目標も求めず生きる事、あるいはそれが生きる事の絶対的肯定と捉えるとすればふいに、否定的な感覚が頭をもたげ、はっきりと、私には現状から透かして、あの時確かに夢中になった筈の明確な光景が見えてくるのです。
立ち止まり、いよいよ消えゆくものが放っていた、あまりにも強く、美しいものへの然り。これだけは揺ぎないと。
そしてその気持ちが本当にいつまでも揺ぎないかを確認し、再構築すべく展示発表するという必然性を自分の中で高めるには、とても時間を必要としました。

今回、写真展を開催するにあたっては、会場については漠然としながらも譲れない空間の雰囲気や生い立ちという条件が私の中でありました。
そんな中で探し求めて出逢ったのが、「つくるビル」でした。
「つくるビル」は、そのコンセプトからも読み解けるように、元々は風呂敷問屋を営まれていた大家さんが所有していたもので、築年数は50年を越えると言います。立地である五条通新町は京都の歴史ある繊維街の南端に位置しており、しかしながら地場産業である繊維産業も往時の活気を失い、多く空きビルが壊されコイン駐車場になり、またマンションになり、というエリアでもあります。この4階建のRC造の建物も老朽化し、一時は建て壊してマンションにするという計画があったそうですが、現在はリノベーションされ、アーティストやクリエイターのためのアトリエビルとして再生されました。
50年前というと、今回の写真展で取り上げるセメント工場がドイツ式最新設備を導入し、最も盛んに生産量を上げていた時代に符合します。まさかそんな偶然は無いとは思いますが、この「つくるビル」の無骨なコンクリートの肌に、あのセメントが含まれているとしたらとつい、想像したくもなります。
ともあれ、この「つくるビル」には、所有者や借り主、そして訪れる人達の思いが注がれていると感じました。恐らくは著名な建築家の設計によるものでも無く、カギカッコのついた「で、あるから存在然り」と専門家らに銘打たれる建造物でも無く、故に年代的にも検証の対象外とレッテルされるかもしれません。しかしその空気感に、簡素簡略された味わい深い様相に、理屈抜きで「格好が良い」と思う人、一見は後退的で否生産的にも映るものに対して新たな可能性を見出す人が集う場所なのではないかと感じています。
そんな空間で、本写真展が行える事も、私の中ではとても重要な意味を持っているのです。

限りなく現代に近い過去と、
現在のバックグラウンドに立ち戻り、謎解きや苦悩する機会を与えてくれた多くの有形物に思いを込めて。

2016年8月16日 谷口菜穂子