· 

演劇鑑賞と、その感想文。

 子供の頃、文章を書くのが早くて得意だった。「漫画とテレビ、コンピューターゲームは人間を駄目にするから禁止」という母親の教育方針の元、読書のみ推奨されていたので、とにかくありとあらゆる本を読んだ。

 お小遣いも原則無かったので、中学生の頃から(タイムリーなことに、ネットで読書感想文を売り買いするのが今問題になっているが)読書感想文を書いて友達に売る、という商いを始めた。1感想文あたり500円~1000円程と、話題のメルカリ売買相場とほぼ変わらない値段にて、ほんの少数の、秘密が共有出来る友達に向けて始めたそれだったが、学校の長期休暇の宿題シーズンは結構忙しかった。

 高校進学には別の高校に通う中学の同級生も大勢いて、これはまた都合が良かった。何故なら友達の提出先は別だが、私立・公立に限らず、同じ本が読書感想文を書くにあたっての対象本だったから。よって、いくつかの本を読み微妙に異なる文章を作成し、少しばかり言い回しを変えればより多くの顧客を獲得できる。中学の頃には名目上の筆者キャラクターを踏まえ、バレないように書くなど気を配って居たが、それはもう大してやらずに済むようになった。自分の分は後回しにして商売用の感想文を優先させ、そのさらに最初の方で書くものは鮮度もあってか毎度何かしらの賞が貰えるなど、顧客らは国語の成績に高評価がつくと喜んで商売繁盛だった。

 高校1年の読書感想対象の本に、イプセンの代表作である「人形の家」があった。100年を超える戯曲だったが、近代史で登場するフェミニズム運動と共に語られる作品である事、この劇の主人公・ノラを演じた日本における女優・松井須磨子の存在も、当時の日本で前衛的女性の代表に挙げられる一人というのは知ってはいた。だからこの作品を読んで、どういう感想を書くべきかを提出先のその先である大人らに対して、おおよそ心得があった。

 しかし、この「人形の家」にはどうしても拭えない、違和感みたいなものがあった。この作品に対するステレオタイプな賞賛の文言、例えば、当時を思えば夫の支配下から家を飛び出したノラの勇気は素晴らしいとか、自立を目指す女性のあり方に勇気をもらったとか、逆に当時の男性の優位性について憤るとか、書けばそれで済むことがどうしても書けなかった。この本を課題本とした大人に対して子供なりに(今流行りの)「忖度」するのは、商売とは言えポリシーに反する。第一、「歴史書」であるなら歴史観を踏まえて分析をせよと言うなら分かるが、これはたとえ100年経っていようと歴史書で無く「物語」だ。しかも書けと言われているのは物語を読んでの感想だ。にも関わらず、時代背景を踏まえた上での名作に触れさせ、想定内の正解を書いて欲しいのが透けて見える、教育サイドのお仕着せ感には決して迎合したくなかった。

 そこで、書いた内容の詳細は忘れてしまったけれど、現代との時代性の誤差への正直な気持ちと、故に主人公への共感はどうしても湧かない事、そういう時代における先駆者とされる妻ノラと、いつの時代も変わらず、女性を所有物扱いすると定義される男性、彼ら以外の、問題の人形の家に、問題となる人間性のままである夫と共に残された、物語のスポットに照らされない、逃げようのない夫婦の子供はじゃあ一体その後どうなるんだ、というのにフォーカスを絞って書き上げた。

 案の定、この感想文は各学校で全く評価されず、評価されない友達からもがっかりされた。そしてしばらくたったある日、家で待ち構えていた母親にこっぴどく叱られた。曰く、感想文を渡した友達のお母さんから電話があった、との事。

 最初は、この秘密の商売が発覚した事で叱られるのかといえば全くそうでは無かった。友達のお母さんは読書感想文の売り買いに対して苦情を言ってきたのではなく、感想文の内容について文句をつけてきたのには正直ショックだった。

 「あの『人形の家』を読んでこんな感想を書くなんて、あんたはおかしいと言われた」と、母親は全身を震わせて怒っていた。

 「これは私への当てつけか!」怒りに任せて髪を掴んだり胸ぐらを揺すったり殴ったりしながら、「さすが皮肉が得意のあの人の子や。子供のくせにこんな事書くなんて恐ろしい。あんた、そんな事書いて誰かに自分の事伝えたいって思ってるんやろ。悲劇のヒロインにでもなったつもりか」。当時、結婚生活が完全に破綻し、もう家族と過ごすのが一時も苦痛で仕方なかった母親は叫び続けた。

 妻が家庭を捨てるという行動に対して非難したのでは決して無いにも関わらず、あまりの拡大解釈と論点のズレに途方に暮れて、抵抗せず時間を流した。

 私の目には、いつでも自立できる仕事を持つ母親はとても、あらゆる条件と照らし合わせても「人形の家」に囚われている身では無いと感じていたし、父親は押しつけや干渉、拘束というものが自分にも相手に対しても苦手な、家事好きで無口なフェミニストだった。故に母親はノラのようなキャラクターに全く重ならなかったが、母親からすれば、ノラの立ち位置にはシンパシーを感じて居るようだった。母親は現状を憎む事で、父以上のフェミニズムを構築し、求めるものが家庭に無いと苦しんで居る。もっとも、夫婦間の事は子供である私の立場では計り知れないだろう。しかし結局、その上でまた我々を傷つけつつ悲劇のヒロインに浸って現状に縛っているのは誰か、大人の庇護下に否応無しに居ざるを得ない私ら子供じゃ無い、むしろあなたでしょう、と本当は言いたかった。そして付け加えるなら、我が母親の怒りにまでは届かないまでも、親同士の面識はほぼ無かったにも関わらず(加えて宿題を代理してもらったという問題を論点とせず)わざわざ電話をかけて感想文の内容を指摘してきた友達のお母さんには、どれだけノラという人物像が多くの女性にとって憧れなのかなんなのか、根深い感情論の裾野を思い知った。

 そして読後の感想として、書かれた当初は賛否両論に対する寛容度みたいなものが、センセーショナルにも読み手の立ち位置それぞれにあった筈の物語が、時代検証と共に女性の地位権利向上への向きも重なり、主人公一人の生き方について賞賛することだけが、作者の意図と共に解釈の正解となってしまったのではないか。そうした概念がよりコアになって、あらゆる角度からも批判する事は容赦しないという風潮を生んでしまったのではないか。しかし時代が流れる中にも確かに普遍性があるとは言え、少なからず我が家においては夫婦間と言うものののどちらかにのみ問題があって、誰かだけが主人公としてスポットライトを浴びるという事は、現代における現実の中では、戯曲が書かれた頃より更に問題は込み入っているからやはりあり得ないんじゃないか、と、自分の中で確証するに至った。

 確かに、母親には家庭を捨てて自由を得る権利はあった。その後その権利を主張し、当時既に付き合っていた別の男性と一緒になった。やっと、とても騒がしくて長かった物語が終わったと私は安堵した。母親が憎む人形の家も、配役から降ろされるよう家という舞台から排除されたのは母では無く我々父子の方で、彼女はその後現在に至るまで同じ家に、夫となった彼と一緒に住んで居る。現実は、物語のようには決していかないので痛みを伴った混沌は続く。

 

 詳細設定が不明瞭な登場人物のキャラクターによって始動する物語とは違い、現実世界では日常生活がいきなり紡がれることは事件や事故に巻き込まれる以外にそうありえない。故にその人が何故そういう人格に陥ったのかという分析も、背景がわからなくては確かに理解出来ない。それではただ、特異な設定の登場人物を目で追い、すこし勘を働かせて普遍性に感銘を受けるのがせいぜいになってしまう。あるいは、文脈を読み取らずに安直にも劇中人物と我が身を同化するのはまた、浅はかな解釈の危険をも孕んでしまう。

 つまり理由と答えを一旦二分した上で捉えてなぞるのは簡単である。しかし、憎しみのエネルギーによって生じる悲劇は、ただ時代背景というシンプルな理由だけでは、結局は解き明かせないのではないだろうか。その上でようやく見いだせるかも知れない相互理解の道筋など、あまりにも遠い。

 答えというのはそれぞれの立ち位置によって本来無限だろう。引き継がれる社会問題も、背景は時代とともにすり替わってゆく。

 しかし人は、問題の根幹や責任の所在について安直に問いたがり、大勢の視点に束ねて共感、共鳴したがる向きがある。まるで隣の席にいる人の、表情を覗くように。

 

 先日、イプセン最晩年の作品である「小さなエイヨルフ」が、京都は某所、小さな劇場で公演され、私の元出身高校で長年教員をされていた演劇部顧問が主催されるとの縁で、見にゆくことになった。

 芝居を見る事は日常そう無い生活を送っているが、実はこの小さな劇場にも縁がある。

 1999年に現在の開放型劇場となる前はいわゆる劇団名であって、現在はその劇団の名前が劇場に冠されてはいるが、そもそもの劇団自体は1957年に結成された。劇団の代表だった故人は母親(前述では無い私の生みの母親)の兄であり、現地は元々、市内にいくつかの借家や土地を持っていた母方の親元のものの一つであり、しかし長男特権で長年にわたり、劇団の活動拠点にされていた。

 生みの母親は元々、先の育ての母親の極めて貧しかった出自とは異なり、京都の地主で豊かな家の生まれであることが自慢でブルジョア意識も強く、兄弟姉妹の、世間的に立派とされる職業について居ることも加えて自慢であり、そうした出自の優位性みたいなものを自身の盾にしていた。その一方、それこそ時代性もあってかリベラルで高学歴だった、家庭内一人反逆インテリ兄を敬愛しており、反して兄の愛する劇団によって、元は自身らの土地であったものが奪われたと心底恨んでもいた。母親は、それまでほぼ社会の中で働いた事も無い上に自分の中に誇れるものも無く、さりとて兄のような反逆児になれるわけでも無かった。

 専業主婦という立ち位置ながら家事どころか雑巾を持つのも汚らわしい位の異様な潔癖症である母親は、家事全般を担当していた父が勤めで居ない間は毎度出前で昼飯を注文し、家に上がって食べられると汚れるからと言う理由で、玄関の土間で私や兄の子供らにそれを与えた。風来坊気質でよくモテたらしい父親に対して常に嫉妬の喧嘩をふっかけ、とばっちりの兄らを酷い暴力で追いかけ回わす。今で言う所の児童虐待だが当時そういう表現は無く、社会問題とされる向きもなかっただろう。私はまだ小さかったので直接的な被害を被っては無いが、母性愛の根本的欠如に危険度の増したことが決定的理由で、子供らを引き取り、父は母と離婚した。

 「私の人生はあの時に終わった」。別れたのは母がたった29歳の頃。それを聞いた私は30半ばで人生に対して意欲的で野心もあり、また物事に楽観的だったから、何事にも悲観的で、立ち止まったまま出来ない理由を挙げる事で、何事もやり遂げられない理屈の盾にする彼女の性質にはとても寄り添えなかった。別に人生、楽しみ方なんていくらでもあるよ、じゃあ手始めに、どこか旅に出るとか。海外に行くなら何処に行きたい?と問えば、いの一番に「キューバ」と答え、その理想の国を賞賛する。「カストロに一目でいいから会いたい」。母親にとっての革命家はどうやら白馬に乗った王子らしい。キューバなんて、あなたのような潔癖症の高級志向にはとても耐えられる国じゃ無いでしょうと皮肉が出そうなのをこらえ、「そんなん、カストロになんて会えるわけないで」と言えば(当時まだ亡くなっては無かったが重病説は流れて居た)、「同じ空気を吸うだけでいい」と返す。しかし決して、母親はキューバになど生涯行かないだろう。

 いかんせん、母親に関してはいかなる角度からも統一性や一貫性が見られないが唯一恐らく、当時父親を焦がれたのには労組の先陣を切る、若い頃のいでたちは書生さんか文士のようだったらしい男のその姿に、自身の敬愛する兄をひたすら、重ねて居たんじゃないかと思う。

 しかし表面分析というのはあまりにも簡単過ぎる。確かに、写真で見る限り、叔父と父は顔立ちが実によく似て居る。

 

 と、前説が長くなったがこの小さな劇場の小さな劇団は、まだ専属劇団員もおられた頃、私の通って居た高校では2年生になると各クラスで文化祭にて演劇コンクールを行うのだが、その時期に演技指導をされに来られていた。

 当時、私にはそのような叔父の存在は知らされておらず、まだ先の育ての母親と父親の離婚が成立して居なかったこと、そして生みの母親の存在もタブー的に教えてもらっては無かったが故、その他諸々私の出自アイデンティティは無駄に謎めいて不明瞭だった。それは家のアルバムも、私が4歳ごろ以降の写真しか存在しない徹底ぶりで、まるで私の人生には赤ん坊時代は存在しないかのようだった。年齢からして全てを知るはずの兄も、家では無口な父親以上に、誰に強いられるでもなく、いらぬ事を話して自ら火種になるような事は避ける性格を磨き上げてしまった。過去を徹底的に葬り自分の出番からがスタートであることを演出し続ける母親と、いらぬ波風が立たぬよう彼女の良いように放任する父親。彼らの弱みを握りつつ、それ以前の生活よりはまだマシである事から身を守るべく無言を通す兄。そんな彼らに囲まれつつも、微かな記憶をたぐり寄せると、確かに狂う際の破壊的な気質は似て居ても、普段は明らかに異なる性質の母親的立場の女の存在が二つあって、私の3歳ごろには密かな場面転換があり、どうやら母親の配役が入れ替わった雰囲気だけは感じて居た。そして直感的に感じる事を発言しても、対学校ならばただ評価されずに終わるだけの自由はあっても、家庭内では直接的被害が大きくてなかなか言えない、前述の人形の家での一件でも見られるような環境の中、この程度の事なら言っても支障ないだろうと、「絶対に、多分小さい頃、どこかで関わりのあった人が、演技指導に来られた劇団員の中に居る」と、家に帰って私は父親に伝えた。その際は困惑の表情と共にうやむやにされてしまったが、数年後に父親が、「言うてた人な、あれはお前の叔父さんや。三つ子の魂百までとはよう言うたもんや。会った言うてもお前が3歳くらいの話や。一回くらい、お年玉もろたかな」と、おもむろに教えてくれた。

 私の家のタブーを取り壊したきっかけは、本人は知る由もないが紛れもなく、この演劇人である叔父の存在にある。

 その更に数年後、この小さな劇場にて行われた叔父の葬儀には出た。

 

 ともあれ、今は姿も形も変わってしまった小さな劇場ではあるが、その空間に留まり暗闇から「小さなエイヨルフ」が始まると、それだけでも舞台背景は十分すぎるくらい私個人的には整ったと言うか、色々と思うところがある。

これもまた100年を超える戯曲。一体、何をどう評価するのが世間的に正解とされるのだろうか。加えて芝居というものに遠い私は知らない。

 物語を進めるのはとある夫婦。

 資産家である妻と打算要素が否めず結婚した夫であるが、一方では近親相関的に愛する異母妹もあり、妻と妹、この二つの存在があって初めて平穏で居られる男の姿。これは時に、置き換えれば心、肉体、あるいは両方と通じ合える愛人と、そのような関係性にはもう遠く及ばなくなってしまったが、子供とのコネクトとして別れられない妻の存在を両立させようとする、結局は天然的に身勝手な男の姿に普遍性はある。また、妹という、自分との繋がりのさらに濃い人間との間にて唯一の愛が育めるという男の思想には、禁断的な設定も相まって純血主義を唱えたナチズムもどこか彷彿させる。こうした心通わない夫に狂い、さらに求め、あるいは憎しむ妻も普遍。望まない子供を持った妻に悲観の台詞を述べさせるのは、当時にすれば作者の意図として、社会に与える衝撃的要素だったのかもしれないが、子孫を残すという役割としての一般論や、世間体等に包囲され子供を持ったはものの、我が胸の中に母性を育めずに苦しむ女性だって実際は居るのだという事も、今日の社会問題の中で浮き彫りになっている。また、こうした存在らの板挟みに翻弄されつつ彼らと離れる勇気が持てない妹の姿は、免れないトラウマや因縁、モラハラにも似てまた普遍。この妹に心を寄せつつも、妻が仕掛けた夫との駆け引きのための道具として、誘惑に負けてしまい妻と関係を持ち、そして愛する人を窮状から救えない技師役の男の姿には、男性自体の持つ根本的な脆さや呑気さ、弱さそのものが映し出されている。あるいは家庭も子育ても関心なかった夫が一転、熱中して居た仕事を放棄して子供への理想教育に目覚める姿には、結局のところ自分の操り人形として、お仕着せて子供の本質的自由を奪う者として、現代の社会や学校、家庭における子育ての問題に重なる。そして妻が我が子供の存在を疎い、夫との二人きりだった頃の甘く自由な生活に戻りたいとする願望には、現代でいうネグレクトにも重なる。加えて、そのネグレクトによって障害を持つ子供になってしまった夫婦の息子が、その障害によって世間との関わりに困難が生じているのには、身体的マイノリティと社会との問題にも通じる。またその社会的ハンデのある者としての烙印と共に、息子の命を闇に葬ったであろう、突然夫婦の前に現れる、人の嫌がるネズミ駆除が生業という不気味な設定のネズミ婆さんは、多様性を良しとしないマイノリティ排除の世相と、その請負人である自身もマイノリティであると言う込み入った事情にも重なる。あるいは、死につつある子供を助けず傍観して居た周囲の貧しい人々は、役柄上では気配でしか登場しないが、それは観客である我々、普段は社会においても傍観者である立ち位置と感性にも、重ねられてしかり。

 そう。これだけ挙げ連ねただけで、随分昔の物語であるにも関わらず、登場人物の立ち位置は先の人形の家よりもずっと複雑で、少し考えれば現代にも全く通用する問題作であるに違いない。

 しかしどうしてこうも、間延びした時間と薄暗い空間の中で閉じ込められて、なんとも言えない複雑な気持ちにさせるのだろう。

 

 まず、最後まで辛抱して物語の成り行きを見守って思うところは、結論の見いだされ方の精査の無さ、みたいなものかもしれない。

 ハッピーエンディングでは無いが故に感じるありがちな消化不良では、これは決して無い。あるいはこれこそ時代性であるが故の、普遍性を伴わない、つまり共感性のなさがゆえかもしれないが。

 妻の願いである夫からの一心の愛、それを阻害するもの、つまり夫の妹や夫婦の子供を図らずも登場者から除外してしまい、夫婦は二人だけの生活を過ごすことになる。それが果たして平穏なものになるのかというオチに、今度は失った子供の陰を補うべく、死にゆく我が子供を見殺しにしたとされる貧しい子供達を、ある種身代わりとして生活の世話、援助をしようと妻が提案する、というのが、戯曲の導き出した結論である。この結論に対し、自身と同じ血が(半分づつ)流れる子供と妹を失った夫は、いったんは二度と元には戻れないとしながらも、元は他人が始まりである妻の提案に同意するのだ。

 それではまた、かつて夫が夢中になっていた仕事から子供への関心が移ったこと、あるいは愛する妹のかつての愛称をそのままに我が子に名付けたことの、要は我が身勝手による所有物扱いの繰り返しでは無いかという暗雲なのか。いや、あるいは全くの他人同士によって育む愛に挑戦しようと夫婦で合意出来た、というのが、強く暗示させられるエンディングなのか。で、あるならば、それはそれなりに物語の筋として通る。しかし実際には、これは演出のせいか、はたまた大元の脚本のせいかは分からないが、全くはっきりしない。というか、表現者として最低限示されるべき解釈の道筋が見出せず、どうとでも見る側に感じてもらえればというような、寛容度の広さが逆に気味悪い印象だけを残す。いや、仮に疑問でも仮定でも、投げかけでもいい。作品を書いた作者、演出、演じる人たちがはっきりと着地点として、何らかの、一筋縄の答えを心の中で持っているならそれでいい。その上であえて薄暗く終わってゆく方向としたというのが意図的ならば。であれば、こんなにもモヤモヤと、安定感を感じない気持ちにはならなかったのでは無いだろうか。

 昨今では映画でもドラマでも、こうした絶望的に見える終わりを意図的に迎えさせるのは常套手段だが、そんな中でも受け身側である見る側としてはっきり感じるのは、深く考えさせられ妄想も出来、それぞれにその後の物語を紡ぐ余地のある上質な物語も確かに存在する一方、逆にその作者側や表現者側の意思の曖昧さや未完成な表現によって、尻切れたトンボの行先を歯がゆく追うような心地にさせる三流作品もある、という事だ。

 この曖昧な気持ちの行く先を、こんな時こそ時代性というものに逃げ込んで解釈するのは簡単だ。金銭的に豊かな人間が、貧しい子供達を我が子の身代わりとして扶養するというのは、上から目線の優位性、支配的かつブルジョア思想が見え隠れし、それは今日に言われる助け合いの美徳とか、我が子、我が身を脅威に陥れた相手を許す、憎しみは互いの平和をもたらさない、という価値観や主義とは合間見えない。しかし、そう分析する事によって、価値観の共有や共感性は持てないまでも、ああ、この時代の彼らはこうした結論をするに至ったんだね、という納得の仕方にすり替える事も出来る。あるいは、発表された時代には道徳心を説くものに一石を投じるのはタブーであり、それぞれの登場人物に吐かせる台詞の一つ一つが時代への挑戦や反逆であったとして、結論に正義を示さない事までもが大いなる狙いだった、と言われればなるほどね、との解釈だけは出来る。

 しかしそれにしても果たして、作者のイプセンはこの物語で一体、何を言いたかったんだろう。先の人形の家よりもさらに状況が込み入って、かつ現代に照らし合わせても登場人物の抱える設定要素が多すぎて、そのうえ誰もが不幸で、ある意味では人間の営みそのもの過ぎて、精神的カオスに陥ってしまう。これは、本作品を選定し、上演した側の方らにも同様に問いたいと思う。

 果たして、生み出した者、関わった誰もがむしろ、100年後の普遍性というものを見極めることが、出来ていたのだろうか。と。

 私も一応なりにジャンルは異なるけれども表現者の端くれであるから、自分の作り出すものにはコンセプトや意図、方向性が不明瞭であることはあり得ないというスタンスでいる。何故これを表現したいか、何故これを今発表したいか、そこが我が内の中で明確であるから故の表現であり発表のタイミングであり、その上で見る側に対して答えをそれぞれに委ねたいとも考える。これが集団による発表ともなれば尚、表現者側の意思の疎通は重要となるだろう。そこがどこか曖昧であるとすれば、最も人間ドラマは不用意には扱えない。何故なら、机上にも舞台にも決してあげられない、現実の日常生活における無数の人間ドラマの方がよほどにカオスでグロテスクで、解決の糸口も、答えも、そして事象に対する理由も、決して簡単には見つからない、圧倒的な迫力と悲喜があるから。

 

 劇場公演という限られた空間と時間に縛られる中、かつ逃げることも耳をふさぐことも出来ない状況の中、既に周知・体験済みである現実との疑似体験を今一度させられる、曖昧な人間ドラマを見続けさせられるということはつまり、外気との垣根の無さに困惑し、何故、自分はわざわざこの場に足を運んだのかという理由さえ、見出せなくなってしまう。仮に作品が本で留まって居る場合はまだ、こちらのタイミングで、声や身振りや表情、音などに阻害される事無く自由に妄想したり、また、いざとなれば本を途中で閉じたりする事だって出来る。しかし、演劇の場合にはそうはいかない。

 役者というのは、そう考えればとてつもなく達観者であらねばならないのか。あるいはそれを束ねる人間の思想観はさらに、大いなる要素として問われるのか。

 仮にだが、この「小さなエイヨルフ」をあくまでもイプセン原作として、現代劇として今一度オリジナルで脚本化され繰り広げられたとすれば、ある意味では時代性のバイアスも取り払われ、人間劇場としての普遍性がシンプルに問われ、かつ表現者側の意図も明確化されるのかもしれない。

 もちろん、この戯曲が前提として、表現者側による必然の理由があり得た上での話、ではあるけれど。

 

 余談だが。調べるとその昔、「人形の家」をドイツで上演する際に公演側からの要望により、イプセンはその脚本の結末を改変させたことがあるらしい。それはノラがやはり家は出ずに留まった、その理由は子供を残して家を去ることは出来なかった、というオチで、家にとどまったが故にノラは死んでしまった、というモノに作り変えてしまったそうだ。

これはどんな圧力があって作者たる者が自らの作品の根幹を変えてしまったのかは分からないので驚きでしかないが、いずれにせよ、作家による作品のその後の賞賛に対しては不名誉にも、曖昧な行為ではある。

 また、これは作者の死後であるが、イギリスのテレビ局の企画にて、その後の時代背景と共に言葉の言い回しや女性の立ち位置の変化と共に、各時代に沿って人形の家の結末を演じる、というものもあったそうだ。これも実際に見た訳ではないので感想については避けるとして、イプセンの作品にはこうした、根本的な設定は変えないとしても、時代に応じたアップデートすべき要素というか、実際には時代性に応じた社会劇にすべき要素が、可能性として含まれているのかもしれない事例ではある。

つまりは「100年前当時の現代劇」を「普遍性を問う社会劇」とするには、「100年先の現代劇」へと繋ぐために何が必要であるか、との見方もあるのではないか、と、思った次第である。

 それにしても、あえてこだわってみる100年、という時間を経ても、変わらない人間の愛憎繰り広げられる営みというものには、こうした作品が時を経ても何度となく再演されることによって浮き彫りにされるのだというのがよく分かる。がしかしこれは100年という寿命をそう、意識もはっきりとした中で全う出来ない可能性が高い事を腹の底から認識できて居ない、今を生きる我々人間というもののエゴなのかもしれない。考えてみれば100年というたかだか短い時間の中で、実際にはそう、人間の持つ感情など変わる筈は無いのだ、というのも、物語は教えてくれる。

 そう思えば、100年前にこのような作品を書き上げた作者は凄い、あの時代にこうした投げかけを提示したのは凄い、と賞賛する向きに対して、逆にでは、何故問題は未だ解消されて居ない現代の人間劇場において、新たな物語が我々には紡げないのか、という素朴な疑問も浮かぶ。そして同様に、人間の痛みが消え去らないのも弱い立場というものが無くならないのも、それは背景である社会や環境が前時代から変わらないからだ、という責任論もあるが果たして、そう簡単に答えは一元化出来るものだろうか。いずれも「弱い立場」と既に設定されてしまっている側のみをフォーカスするあまり、「そうとは言えないケースもある」、と指摘せざるを得ない微妙な事象もあるにも関わらず、その訴え自体が既存バイアスにおけるタブーとなって、それが環境なのか、時代なのか、教育なのか、社会なのか、あるいは果たしてなんらかの責任を追及する事でより、問題解決の糸口を縺れさせてしまう場合があるようにも思う。

 100年後の自由を経てはっきりと言えることは、読み解きという課題も終えていない一方で、過去には扱いそのものがタブーとされ、覆い隠されて来た人間の多様な存在のあり方、性質、生き方、思想、嗜好、等々が、ただただ全てあからさまになったに過ぎない、ということなんじゃないだろうか。故にそれらの多様な有様を舞台上で単に明らかにした所で、それだけではもう、ただ日常の延長にしかならず、さあ、我々はこれから、どうしましょうねえと立ち止まるだけで終わってしまうのだ。
 100年前の古典に挑戦し、やはり普遍性はあるよね、で、終わってはいられない。

 こうした課題を預かる芸術家や表現者という立場の我々は、これから先に何を、紡ぐべきだろうか。

 

 そんな中での今回の「小さなエイヨルフ」においては、内容が詰まりすぎているにも関わらず、これがもしや台詞の強弱の曖昧さが故か、全ての演出における微妙な出力コントロールへの繊細さが欠けているが故か、何のバランスが問題なのかを、劇が進行する中で分析せざるを得ない時間の過ごし方となってしまった。その細々に関しては書きあげる事は控えるとして、要は演劇というものに対して、本来的に求めたいとする、充満するべき空間での過ごし方を、残念ながら堪能出来なかったとは言える。

 勿論、今回この演劇に触れられた多くの観客の方には、このような気持ちに陥らず、深く胸に響いた方らも多くおられただろう。しかし、見る側にはそれぞれに、意識下、無意識下に関わらず、日常において様々に多様な背景や問題を抱えている筈であり、それらを常問題視しているか、客観視しているか、あるいは全てに関して視線を避けているかの強弱はあれ、例えば私のような背景があって席に着いている者も居たり、あるいは、物語に繰り広げられる諸問題よりも更に深刻な現実上の悲劇に、今まさに凄まじく巻き込まれている人も、当然いる筈である。

 しかしながらそのような背景やいわれ、既成の固定概念、個々が日常に抱える諸問題などはすっ飛ばしてしまえる程、物語というものは本来、人を夢中にさせるのが真骨頂であるべきだ。

 このように長々とした屁理屈文章になってしまったが、このような余地などは勿論持ちたくはなく、存在する役者や空間、照明も音も、それらは物語の本質へと結びつける全ての演出要素として、物語の核心へと、本来私は近づいてみたかった。しかしついついと、一方でなんとか帳尻理合わせに良い面も探してしまうのが私の悪い癖でもあり、せっかくの3次元世界であるものを、2次元パーツで捉えてしまうに止まってしまった。

 

 それぞれの仕事は個別的には素晴らしく仕上げられているのに、これはあまりにも勿体ないものの見方である。

谷口菜穂子写真事務所
Copyright© Nahoko Taniguchi All Rights Reserved.

 


商用、私用に関わらず、サイト上の全ての写真やテキストにおける無断での転用は固くお断りいたします。

Regardless of commercial or private use, we will refuse diversion without permission in all photos and texts on the site.