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軽井沢。室生犀星の足跡を辿って。

 

 現場近くに室生犀星旧邸があるとの事で仕事前の朝一番に立ち寄ってみた。

 

 父親が遺した書籍に室生犀星が幾つかある。引っ越しの度に蔵書の整理をし、最晩年は相当数の本をひっそり処分していたが、最後まで残していたんだから好きな作家の一人だったんだろう。煙草のヤニが積層して煉瓦色してる。

 歳をとって(と言っても69歳で亡くなったのでそんな歳でも無かったが)、故郷・鹿児島を想う言葉が増えに増えたので「お父さん、帰ったってええんやで」と言ってみると、「故郷は遠きにありて思うもの、言うてなあ」と、はぐらかされた。

 今その言葉を振り返り、作者と重ねた隠喩を思うと心がギュンとなる。

 

 軽井沢に親しい人はご存知の通り、通りから外れると鬱蒼とした木立に未舗装の小径が伸び、こんな奥に進んで何があるだろうと不安になる頃、絶妙の間に別荘がポツポツ。室生犀星邸も、まさにそんな具合で現れる。当日は本降りの雨で、タクシーの運転手さんが「前まで車着けられないけど良いですか?それに、多分外から伺うだけのお宅ですよ」と申し訳無さそうに言うので心細かったが、カメラバックにカッパを被せ、ジャリジャリと向かってみた。

 確かに、お家の中は外から眺めるだけだったけど、お庭だけでもう、ああ無理して訪れて良かったと随分滞在し、管理されてる地元の方にお話をお伺い出来た。

 

 客間用の離れ、そして書斎や暮らしの間として使った小さな離れと母家から成る三つの平家、それぞれの軒先に苔と石で構成された庭が広がっているが、お家よりも作庭が先、犀星が自ら、苔も付近の山々で二十種以上自ら採取し育てたという。戦中戦後間なしはここで疎開暮らし、その後は亡くなる一年前まで毎夏を過ごしたらしい。

 「いくら北陸育ちの方でも、こちらの冬は氷点下二十度とかですからね。こんなお家なので、冬はさぞ厳しかったでしょう」と言われるほど清貧な造りの邸宅に、目立った花木など無い庭が広がっている。堀辰雄(ちなみに私の名前は堀辰雄の小説の主人公から付けられたんだが)、川端康成、志賀直哉ら多くの文人も訪れた夏の家。

 お父さん、私の眼を通して見てるかなあとふと思った。ほんと、為人が沁みるお庭やねと語りかけてみる。

 

 関西からはあまりに遠く、東京に出て軽井沢に向かうか、一旦北陸に登るか、どちらも大回りして行くしかない軽井沢。が、金沢からだと新幹線一本でスッと、行けるんやね。

 森林浴もさることながら、さすがは昔からの宿場町、その後も関東の多忙な日々から逃れる場として歴史を育まれただけある質の高い温もり溢れるホスピタリティにはさまざまな場面でとろけそうになった。

 短いオンシーズンにして便利になったと言えアクセスが良いわけで無く、湿気に落葉に根雪と維持管理にこまめさが必要なこの地に人は何故魅了されるのか。それぞれの琴線に触れる何か。憧れも含め、個々人の物語がリンクすると忘れ難くなるのかな。

 

 いしかわ暮らしを始めたら。勉強と称し、時々訪れてよく解釈してみたい。