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黒豆に願いをこめて。

いきなりの、お節と言えば「黒豆」話で長々語り始め。


我が家の黒豆は、関西家庭料理の神様、故・土井勝さんのレシピを元としています。
料理好きだった父は、料理本には普段頼りませんでしたが、別格扱いで崇めていたのが土井勝さんの本でした。中でも黒豆のレシピは、確かに神のレシピ。書かれた通りにきちんと作れば、誰がやっても料亭並みの美しい黒豆が完成します。今だと笑えますが、父は離婚劇で何もかもすっからかんに失って「(土井さんの)本まで取られた」と、暮れのお正月準備の度に言ってました。よほどだったんでしょう(笑)。
しかし現代というのは便利なもので、神様の「黒豆」レシピは、ネットで糸も簡単に検索出来るようになりました。お父さん良かったね。家では今でも思いを紡ぎながら黒豆を炊いていますよ。

さて、この土井勝さん。
亡くなられたのは1995年。テレビの料理番組でお馴染みの方で、その物腰の上品さには今も記憶に残る方も多いのではないでしょうか。
調べるとご自身の料理の基本には「母の包丁の音」と、兵役での「海軍生活」があったと言われます。
水と燃料が貴重な艦上の料理法がベースで、少ない水で野菜を蒸すように茹でる等、土井料理の基本である合理的な調理法は、質実剛健な海軍経理学校の教本を体現しているとされます。
太平洋戦争で得た経験を、家庭料理という平和な台所で結実させた土井勝さん。かつて「大和」の乗組みが下命され、本来居た筈の持場に落ちた爆弾で戦友のほとんどを失い、大和最後の出撃直前に退鑑を命じられて生き残られた。それを終生負い目に感じておられた事、晩年まで多く公言されなかった事。あの柔らかなテレビの向こうのお顔には、そんなご経験を秘めておられたのですね。。。

私に親のあった頃のお正月と言えば、28日頃から市場に買い出しにゆき、29日から31日までずっと親子交互で台所に立って互いの得意なお節を作ったものです。ゆえに若向きのもの、年寄り好みなものと品数は豊富となり、31日の夜にはお重に詰めて、頼まれもしないのに方々に配りました。作者側としては既にやり尽くした観のお節を傍らに、「まるでお仕着せの『かさこ地蔵』やなあ」と言いながら、皆さんからお返しに頂くお酒等、お正月の三が日は散々に呑みました。
何を達成する訳でも無い正月にまつわる家族の恒例行事ですが、私にはかけがえの無い思い出として、全ての物語が今日のベースとなっています。
今にして思えば、土井勝さんと父親は年齢で言えば10歳近く開きがありますが、ある時代を体験した料理家へのシンパシーのようなものが、あったのかもしれませんね。

家庭料理の大事さというものを広く世の中に問いかけた土井勝さん。そうした思いを我が子に繋げたかった親心。
さて、自分には何として結実出来るのかは分かりませんが、「まあ、あと何回生きてるうちにお節作るかわからんもんな」とうそぶきながらも、マメに本気に丁寧に、生きる事の基本を守ってゆきたいと思っています。そうする事が、誰かの笑顔の糧と、なれますように。
今年の神棚には、昨年の写真展で友達がお祝いにくれたお酒をお神酒としました。まだまだ、与えられるばかりの自分です。

ご挨拶がずいぶん遅くなってしまいました。
皆様。明けましておめでとうございます。いつもいつも、ありがとうございます。

谷口菜穂子写真事務所
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