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百聞も一見も危うい世界にて。霊雲院の庭で思うこと。

 

 東福寺塔頭寺院の一つである霊雲院。

 

 コロナ禍のせいか普段からそうだったのか、拝観口へと繋がる石畳の手前の立て看板はいつも閉観中と記されていて、近所でもなかなか機会に恵まれなかった。ところが先週末、おツレが休日散歩に出かけたと思ったらすぐ電話があって、「開いてるって!」との知らせ。部屋着から急いで着替えてようやく訪れることが出来た。

 

 門を越えると老梅が1本開花中にて、玄関上がりには紅梅の盆梅が一鉢。わずかこれだけで春の香りが辺りを漂っていた。

 幕末には、尊王攘夷運動に身を投じた勤王僧・月照と明治維新の指導者である西郷隆盛が、この寺で幕府の追手から逃れるべく何度も密談を交わしたそうだ。また、日露戦争中はロシア人捕虜収容所にもなったのだそう。

 

 恐らく、当時も今も最も変わらないであろう風の音や鳥の鳴き声の、長閑で安らぎのあるこの場所において、反して激動と激情の渦中にあった、今は亡きこの寺に関わりを持ったすべての人々は何を思ったろう。

 


 

 大七世和尚が肥後熊本出身にて細川家と親交があり、その昔贈られたとされる「遺愛石」。この石を中心に、仏説の宇宙世界を象った九山八海を表現したのが作庭家・重森三玲だ。

 

 拝観すると、「九山八海の庭」その奥で小書院の西側にある「臥雲の庭」と言う順番で見ることになるが、臥雲の庭と呼ばれるその奥に庭は始まっていて、渓谷より流れ出る水、空ゆく雲は悠々と、無心に流れてやがて大海へと帰ってゆく様子を表しているのがよく分かる。それはまるで回り舞台のようで(がしかしもちろん庭だから見る側が自ら動いてゆくことで場面の転換を感じるわけだが)、決して広いとは言えない庭園が壮大な物語を演じており、無限の環境に視界の端のその先まで広がってゆく。そして見る場所、見る高さ、時間や時期、光の加減でそれらはまた無限のパターンを表現していくから、要するにもう、この世界観と言ったら幾通りかでしかない写真などでは決してこの場を表現出来ないと断言せざるを得ない。かと言って動画でも果たせるだろうか。

 要するに、それぞれの我が目とその時折の心情で何度も何度も感じるべきものを感じるしかない、そんな庭である。

 

 勿論で私も含めた誰かの視点で表現された個別な絵面(写真や動画、絵、あるいはそれらに付随するテキストなど。更にはテレビやネットなどの配信物の主には視覚に訴えるもの、それらを盛り立てる言説)というのは、それを知らなかった人が知る為の、単なるきっかけ作りや知ろうとする原動力になるかもしれないが、つまりはいずれも個人的な偏りが発露であり、であるから単なるツールでしかないと思った方がいい。そしてその絵面を晒す側も、その絵面を受け取る側も、その事を常に念頭に置いておくべきである。

 

 ああしかし、真に素晴らしい庭とその作庭家の表現とは、受け手であるこちら側は立ち位置の正解など決してないんだとつくづく思う。

 これらを総じて、そして回り回って、我々を日常的に取り囲む環境も、事象も、思想も、物事の一見などで決して理解したつもりになってはならぬと、素晴らしい庭はそう、我々に教えてくれる。

 そして付け加えるなら重森三玲の庭は、そのことをかなり丁寧に、またこちらがあれこれと考える余地と自由をギリギリまで抽象と具現で攻めて展開してくれるので、相当何度も見慣れるまで訪れない事には、心のザワザワは治らず、エモーショナルな波にいつも呑まれそうになるのだ。

 

 ので、重森三玲の庭は、結論、私にはなかなか梯子出来ない。苦笑。

 何事にも心酔しすぎないためにも。

 



谷口菜穂子写真事務所
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