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悲恋の寺。祇王寺。

 京都は奥嵯峨にある祇王寺へ。

 昨年に大覚寺へ向かった際に共通拝観券を購入してそのまま、財布に仕舞い込んでいたのをようやく訪れた。

 

 平家物語にも登場する祇王寺は、平清盛と二人の女性の登場する物語の舞台である。

 歌舞の一種である白拍子の芸人であった祇王と祇女という姉妹がおり、姉の祇王は時の権力者・平清盛の寵愛を得て、妹の祇女共々平穏に暮らしていた。そこに同じく白拍子の仏御前なる若い女性が現れ、清盛を前に舞いたいとの申し出があった。はじめこそ門前払いをした清盛に対し、祇王が優しく取りなしたことで仏御前は歌を披露。ところがあろうことか、清盛は若い白拍子にたちまち夢中になり、寵愛の的が移ってしまう。祇王は館を追い出され、妹と母とも一緒に髪を剃って尼となり、世を捨ててここ祇王寺にて仏門に入る。

 ここで話が終わらないのがまた深い所で、母娘三人で念仏しているところを訪ねてきたのは仏御前。祇王の不幸に無情を感じ、自らも剃髪して尼となった姿。物語は、四人一緒になって祇王寺で往生の本懐を遂げて終わる。

 ちなみに、その時の仏御前はわずか17歳。

 この時代の女性たちの、まるで野花のように脆く儚く、短い命を思う時、今の価値観で測れば野暮なツッコミも浮かぶ所ながら、なんともやはり、胸打たれてしまいますね。

 

 そんな物語も、時を経て伝えられ重ねられると、その土壌にまで染み渡るのか草庵を前にした苔むす庭の、静寂のなんと凄みたるや。
 この場に腰掛けでもあったらもうずっと動けなくなって、浄化されると共に心があらん方向に向かってしまいそうです。

 先日読み終わった、文春新書から発行されている「仏教抹殺〜なぜ明治維新は寺院を破壊したのか」という、近く嵯峨野にある正覚寺の副住職にしてジャーナリストという異色の経歴をもたれる鵜飼秀徳さんの著書。

 そこには文明開花華やかな伝わりしかあまり語られない明治維新の一方の闇の部分、「廃仏毀釈」という神社と寺院を分離する政策を発端に、いかに当時、全国に渡って異国の宗教として主に仏教への宗教攻撃が行われ、あまりにも多くの文化財が破壊されたか、また、それはどのような規模で広がり、何故広がりをみせたのか。それまでの幕府の庇護の元に肥大化した寺院の怠慢化をも公平に語られ調べられた貴重なルポルタージュである。

 廃寺され、寺領を削られ、打ち破られ、焼かれ、売られ、溶かされ。あるものは学校になり、あるものは近代化の都市インフラの礎となり、かつての信仰の対象は全国はおろか海外へと数多く売買された事実は、その上に暮らす現代の我々にも繋がっていることを知る。

 ちなみに、この祇王寺もかつてあった往生院という寺の内の数々の坊のひとつで、すぐ隣にある滝口寺共々、廃仏毀釈により廃寺となった経緯があるそうだ(その後共々再建)。

 祇王寺のリーフレットには、その際に残された墓や仏像は旧地頭の大覚寺に一時保管されたとある(先の著書には、全国ではもう見る影もないほど打ち捨てられた墓石や仏像も数多にある一方、近くの寺を始め、町衆や信者らがなんとか難を逃れるベく密かに持ち出して隠したり、守ったりした事例もまたいくつもあったそうだ)。数年に渡る政策の余波の止むのを待ち、再建に動かれた大覚寺と、この祇王の物語に心打たれた当時の元京都府知事・板垣国道(京都の勧業事業の立役者)により、嵯峨にあった別荘一棟(現在の草庵)を寄付され、再建に繋がったとされる。こうした経緯のもと、祇王寺は大覚寺の塔頭寺院となったそうだ。

 

 さて。一方であるお隣の滝口寺も拝観してみた。
 同じく茅葺の草庵を前にして、広い庭の広がる立地も素材も本来のポテンシャル申し分ないお寺。そして同じく、平家物語に登場する滝口入道と横笛の悲恋物語の舞台である。がしかし何故だろう。明らかに隣の祇王寺に届かない、手の入れが満ちておらずなんとも勿体無い、廃れゆく空気がうっすらと漂っている。

 なんだろうな。。。本当に不思議なことだが、庭というのは一見自然に任せた様子のものでも、実際に日々、目を配っていないと途端に人間側の心を映す。畳の目から外れた薄い座布団が縁側に並ぶ小さな草庵も、忘れ去られた過去の生活臭を放ったりする。何故だろう。
 強力な後ろ盾や人々の関心のさじ加減ひとつで、命運が分かれるものは現代に至っても結局普遍ということか。。。ちょっと考え込んでしまって気持ちをリセットすべく、この地を後にして、近く嵯峨野豆腐の「森嘉」さんで絹ごしとからし豆腐を買って、帰路についた。

 


谷口菜穂子写真事務所
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