
連休後半戦スタート。
と、いうことで、母親の遺品整理をしています。
3歳の誕生日の翌日に別れて以降、10代終わり頃に再び、ほんの時々会う関係だったので、その為人はほぼ解らずじまい。まるっきり趣味性も違えば、そもそもであらゆる影響を受けることも無かったですから、残された殆どのものに、関わりも無ければエモーショナルな気持ちに陥ることもありません。ただ、物言わぬモノと向き合って、今更ながらどういう人間だったのか、読み解いて理解するという時間が過ぎていきます。
が、不思議なもので、これまで共に生活した時間は僅かな筈なのに、ほんの時々、内心びっくりする位、訳のわからない所で符号点があったなあとも振り返ります。
例えば、最も行きたい国を問うた時に「キューバ」と言い出したこと。理由は私とは全く異なりますが(彼女はカストロの事を白馬の王子とでも思ってるらしい)、私も、キューバは死ぬまでに一度は行きたい国の一番です。
ただ、母親は異様な潔癖症なので、まず現実的では無かったろうと思います。
遺品の中で、どうしても手放せないなと思った3選。
一つ目は、一体どういう繋がりだったのか、Roland Aeschlimannという、恐らくグラフィックデザイナー(名前検索するとスイス人?舞台デザイナーあるいは、スイスのグラフィックデザイナーとして活躍されている)から昭和39年に届いたNew Yearカード。日本人女性の様々な形状の櫛がイラスト化されて、めちゃくちゃカッコいいんです。
二つ目は、日本の名所のポストカードセット群。あちこち旅するような人間では決して無かったので、恐らく、ある時期に趣味で収集にハマってたんでしょう。回り回ってレトロなフォントやデザインが面白くて、写真も当時を捉えたものとして、今後益々希少になるだろうなと思います。
3つ目は、この大量の葉書群を持ち帰った今しがた、おツレが紐解いて「あ。時国家行ってるやん」と言い出したもの。いや、母親が奥能登・輪島に行ったなど話に出た事も無いので、誰かのお土産でしょう。珍しいもので、写真ハガキでなく、手漉き和紙で、時国家の特徴的な意匠(石畳や引き戸、欄間や大屋根など)を超クローズアップでデフォルメした図柄になっています。能登国に配流された平時忠を祖とする時国家の歴史的建造物は、能登半島地震では一部損壊で大きな被害は免れたものの、豪雨災害で甚大な被害を受けました。
良く言えば、生前は、夢見がちではあるものの、行動派とは真反対の人間でした。さりとて、私が仕事柄あちこちに出掛けることについて、羨ましがったり嬉しがったりするそぶりは決して見せませんでした。
なんだかなあ。なんでかなあ。
モノと向き合って、言葉にしようとする最中にあります。