京都で一番好きなお庭は?と尋ねられたら、恐らく、私はまだ悩みながらも「光明院」と答えるだろう。家から歩いてすぐ、何か頭の中がスタックした時にふらっと訪ねられて、いつ何時も鮮度に心打たれ、落ち着かない日常と隣り合わせにある、駆け込み寺というか、心の拠り所の様な存在がその理由だった。
「まだ」と「だった」と混在する現在形と過去形は、コロナ禍が落ち着いて以降、何事も変わりなく、というよりも更に増えてしまった市内観光客に、近年お寺が度々主催するアートイベント会場の試みもあって、いよいよ「バレて」しまったから。無音の様な景色には鳥の囀りだけが響く。こんな世界観を持続するには仕方無い事。そう言い聞かせ、それぞれの視点がぶつからないお庭に心を集中させながら、かつて縁側で殆ど人の気配を感じずいつまでも居られた、ほんの数年前を思い出す。そしてそれがどれだけ素敵な時間だったか、恐らく東洋の精神世界に傾倒し、ZENの世界を求めにやって来る特に欧州から来られてる方々に伝えたくなる。そう、過去を振り返るばかりの自らの邪念に向き合ってしまう。
彼ら側にしてみれば、縁側で居座る私も思い出の中にフレームインしてしまう存在の一つ。お互い様。なのに。
光明院は、すぐそばの東福寺の塔頭寺院のひとつだ。ちなみに、本山である東福寺の境内には桜が殆ど無い。その理由は室町時代の絵仏師・明兆の描いた「大涅槃図」を気に入った室町幕府4代将軍・足利義持が褒美を与えようとした際、「東福寺に桜があると桜の名所として遊興の場になり、僧侶の修行の妨げになるから伐採してほしい」と明兆が願ったことに始まるそうだ。
その後、桜の代わりに紅葉が植えられ、紅葉の名所として有名になった東福寺は秋になると山ほどの観光客で賑わうが、確かに、桜の下での宴会はあっても、思えば不思議だが紅葉の下で宴会はしない。ということで、現代に至るも明兆の願いは辛うじて保たれている。少なくとも、閉門後の夜は近寄り難いほど静かである。
そのような流れもあってかどうか、光明院にも桜は幾つかしか存在しない。が、昭和14年という暗雲垂れ込めた時世の中で重森三玲の作った枯山水庭園「波心庭」には、雲に見立てた躍動感ある大刈り込みのツツジやサツキの緑に(樹齢からして後付けだろう)、しなしなと風のような桜がほんの数本背後に植って枝を垂れている。
砂の波紋や苔の緑、波飛沫を模した小石に馴染む飛花が、儚く消えて尚積もる時間の積層を物語るかのように。
お寺の試みとして座敷に桜の巨大な生花が設られて、その様子がInstagramで散見している。映え狙いかあるいは秘めた物語があるか、わからないけれど私はこう解釈することにした。
桜の散り様まで寄り添う寺と。
大急ぎで桜の開花の最高潮を求め、いつの間にか一本の桜の下で長々と時間を過ごすという遊興も求めなくなった私たちは、地元であろうとまるで旅行客が次々とその席を譲るかのようにワッと咲いた桜をフレーミングし、あるいは自らの痕跡を残すべく背景共々セルフィーし、その場を去ってしまう。
そんな、まるで生き急ぐ様な日常をちょっと立ち止まらせてくれるような、これは宗教的意味のある演出と効果の形であると位置付けたい。
と、勝手に解釈しながら、あんまり明確な物語が定義され、これ以上キャパオーバーになりませんよう。。。
なんだかよく分からないから、認知され辛い位が丁度良い。そんな繊細なバランスを保つのはとても難しい。そんなことを思いながら、こうして写真にしてウェブ上に公開してしまう、矛盾に満ちた自分がここにいる。
誰も居ない瞬間、存在を避けて切り取る事は嘘つきなのか、それとも本来の空気感をなんとか残したい足掻きか。ざわつく世界のささやかな拠り所。せめて終わったこととして。




















